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【文化の違う国住むということ】〜フォルケホ留学🇩🇰〜



5か月、デンマークの教育機関であるフォルケフォイコーレで過ごした。
この5カ月は紛れもなく自分の経験、人生の一部として心に刻まれているわけで
私がこの5ヵ月間、何を体験し、どのように感じたのかをここに言葉として残したい。

今の自分があるのは、過去の経験のおかげ
たくさんの文化、経験、考えに触れ、自分の価値観も気づかないうちにすこしずつ変化しているのだろう。





私が感じ、私の一部となったもの


学校、初日
コロナウイルス流行により、学校に着いてすぐ、先生にワクチン接種状態について聞かれるが、何も分からなかった。何も聞き取れなかった。

何も聞き取れない、自分の言いたいことも何も言えない。
そして、デンマーク人はもちろんデンマーク語を喋る。そんな環境を選んだことを後悔したのが初日だった。

普段、後悔しない私が唯一後悔した、瞬間だったかもしれない。でも、初日で心折れてはいけないと、自分自身を鼓舞した。その日の日記には


「この環境に感謝しなければならない、ここに来たくてもこれなかった人はたくさんいる。自分で選んだ道。絶対に来てよかったと思えるようにする。よし!頑張る」

そして、この日はたくさん泣いた。泣いた後は、とてもすっきりした。
だから、「泣きたいときは我慢せずに泣く、自分が壊れないように、自分に素直になって、自分の出したい感情を出す。」

「自分の気持ちに素直になる」ことが一つの目標となった。


2日目、嫌なこともたくさんあったけど、楽しいと思えることに目を付けれるようになった。


3日目にして、デンマーク語に囲まれている状況に嫌気がさしていた。本格的に授業が始まり、先生が英語を喋る。その環境にいられるだけで嬉しかった。3日目の日記が「サステイナビリティーの授業で先生は英語でしゃべってて、それだけで嬉しかった。でも、聞き取れへんくて悔しかった。」


4日目、そもそも英語が喋れないのって英語能力が理由じゃないことに気づき始めた。日本人がそもそも、ディスカッションせーんから、物事を考えて、喋る力が乏しいてことに気づいた。自分の知識がないくて喋れないことに悔しさを感じた。この日には、『勇気をもって行動すること、時間の使い方を考える』が目標となった。

確かに、フォルケホイスコーレ、130人の生徒が共同生活をする場において、「自分自身の時間の使い方、自分をマネジメントする方法」を考えることの大切さを学んだ。
自分の心と身体に従う。しんどい時は、積極的に休む。ホイスコーレでは、常に何かが起こっている状況。自分自身に問いかけ、自分を知ることが大切だと気づいた。

5日目、1日1日が新しい経験ばかりで、濃い1日。そして、日本での1日をどんだけ無駄にしていたのかに気づいた。

6日目、環境の変化、デンマーク語、英語に囲まれて暮らす中で、一日の頭の疲れ方が比じゃない。でも、その分、充実していて1日が長く感じるからうれしい。そして、この日は自分の成長を感じられて1日であった。たくさん会話できた。少しの成長を感じながらも、日記には「折れない心と自信を持っていれば良い」と自分を鼓舞する言葉。

7日目、唯一の学校にいる日本人の友達とめっちゃ日本語で話した。めちゃめちゃ楽しかった。でもその反面、英語が全然使えなくて、英語を話すこと怖くなっている自分に悔しさを感じた。自分の思い描いていた留学生活は楽しいものって思ってたけど、思ってたよりきつくて、正直どうしたらいいのか分からなかった。

【本当の自分の姿を見せられない事】が悔しかった。【本当の自分を見てもらえない事】が悔しかった。自分の中で言語がもつ役割に大きさに気づかされた。そして、今日は友達からもらった手紙を見てたくさん泣いた。「明るく。常に笑顔で!!ストレスは全部出す。泣いて出す。」日記に記した言葉だった。


次の日、(8日目)
テンション高かった。授業内容も聞き取れることも増えて食事中も自分から話しかけることができて、交友関係も広がって自分の思い通りになった一日。綴られた文字から感じられる、テンションの高さ。


9日目、一目惚れした、男の子と急接近。そして、デンマークの文化の違いに困惑した一日。


10日、少しずつ生活に慣れてきたせいか、英語に対する意識が少しずつ低くなってきたのを感じた。そして、デンマークが幸せな国と呼ばれることに初めて疑問を感じた日。


11日目、少しずつ自分の言いたいことがゆえるようになってきた。でも、大人数の前で喋るのは怖くて、勇気が出ない。そして、この日、『オープンマインド』になりたいと思った。

12日目、コロナウイルスにかかり4日間の隔離。
この4日間は自分の時間を過ごすことができて有意義な時間となった。
この4日間は必死に英語と向き合った。朝の8:00から夜の10:00まで単語帳と睨めっこ。そして、日記には「何か、いつもと違うことや新しい環境にくると自然と言葉が出てくる。伝えたいこととか。でも、同じような生活をく繰り返していると出てこない。」


隔離終了、1日目。隔離4日間のおかげで自分自身に自信をつけることができた。そして、友達に【英語良くなったね】ってほめてもらった。

隔離が終わってから久しぶりの授業。先生が言っていることが大分理解できるようになった。単語帳のおかげだと思う。でも、この日、ランチで全く喋れなくて、号泣。日本にいる大切な友達に電話して励ましてもらった。そして、
「泣くことは自分自身、壁に向き合って証拠」
って言ってくれた。ありがとう。


次の日、午前中は辛い思いをしたものの、夕方から楽しい時間を過ごすことができた。そして、英語を喋るためのことを掴んだ。デンマークの知りたいことや、その国の知りたいことをあらかじめ調べて、それについて話す。聞く。これがこの日、得たことだった。


次の日、デンマークに来てから初めての母との電話、母の第一声目が「大丈夫、どうしたん」って言われて泣きそうになった。「全然大丈夫じゃないよ。今にも壊れかけそうだよ」って。


次の日の日記には、「いろんな感情を吐き出したい。自分は頑張っているって認めてあげる。自分はすごいんだよって。逃げているんじゃないよ。自分と向き合っているんだよ。少しずつ進めば良いよ!自分のペースで。」




これは実際に自分の日記に記した言葉、文化の違う国、言語の違う国に住み感じたマイノリティーとしての気持ち。自分自身に向き合い、問い、出てきた感情。

その一部を記録に残したくて、何かを挑戦する時に、コンフォートゾーンを抜け出すことは、しんどくて辛い瞬間になるかもしれないけど、多分、コンフォートゾーンを抜け出した皆が経験してること。だからこそ、ここで共有したいなって思いました。





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