見出し画像

映像監督・小鷹裕の「きらくな映画倶楽部」|第1回 カット割りの基本と型破り

カット割りとは、各シーンを数カットで区切り、映像の撮り方を決める工程です。カット割りを書き込んだ台本は「割本」と呼ばれ、いわば“シーンの設計図”にあたります。製作現場では、カット割りは主に監督の役割です。

伝わる映像作品を作るうえで欠かせない「カット割り」について、映像監督・小鷹裕さんにお話を聞きました。基本が大事なカット割りですが、あえてセオリーを外すことで忘れられないインパクトを残した作品があるとのこと。印象に残る映像を作りたい人は必見のノウハウです!

語り手・小鷹裕(映像監督)、取材&構成・長尾和也(ライター)

画像1

★小鷹裕 東京都出身、1986年生まれ。和光大学表現学部の学生時代に映像制作を始め、当時、同大学の准教授だった高橋巌監督に師事。卒業後、TV局やCM制作会社の勤務を経て2014年に独立。2017年にVシネマ『ナマ配信 放送禁止のプライバシー』で商業監督デビュー。2020年にはTVドラマ『ギリシャ神話劇場 神々と人々の日々(TOKYO MX)』で監督を務めた。そのほか、CM・MV・WEB配信といった多分野の映像作品を監督として支えている。

「親切さ」と「わかりやすさ」が基本

監督ごとにカット割りのスタイルは様々ですが、私の場合、台本に区切り線を入れて1カットの範囲を示しています。さらに、トラックイン(近づきながら撮影すること)といったカメラワークや、クローズアップ(画面いっぱいに撮影すること)といった撮影の構図を書き入れていきます。

私にとってカット割りの基本は「親切さ」と「わかりやすさ」。ムダのない数カットの積み重ねで1シーンの意図が観客にきちんと伝わることを重視しています。

例えば親から子どもの家庭内暴力のシーンを撮影するとき、状況説明のために荒れ果てた室内のカットを入れます。温かい手料理の気配のない汚れたキッチンや、誤飲のリスクがある放置されたままのタバコの吸い殻を観客に見せることで、シーンの舞台は普通ではない家庭と説明するわけです。その後、暴力のカットを観客に見せれば突発的ではない常習的な暴力ということが伝わります。

カット割りには、1シーンの意図を伝えることのほか、ムダな撮影を防ぐ意味があります。先ほどの例だと、あるカットで家庭の状況を説明した後は原則として同様の撮影はしません。つまり、次の家庭内暴力のシーンではいきなり暴力のカットを撮るということです。

カット割りは撮影が始まる前に考えます。ただ、あくまでも変更の可能性がある”計画”であって、動かせない”決定”ではありません。撮影現場で追加や省略をしてカット割りに変更を加えることはよくあります。事前にカット割りをガチガチに作り込むよりは、ある程度の余裕を持たせると撮影がスムーズに進みます。

画像2

割本の例

カット割りを変更するケースの一つが、役者さんが素晴らしい演技をしてくれたときです。この場合、事前に考えたカットを現場で省略することがあります。例えば、登場人物の怒りを表すシーンは、基本どおりに表現するなら怒っている顔のカットを正面から撮ります。

ただ、私の感覚から言えば正面から表情を撮るカットは説明的すぎると思います。役者の演技を現場で見て、身ぶり手ぶりなど全体の雰囲気で怒りが伝わりそうであれば正面から表情を撮るカットを省略するかもしれません。逆に、正面からの表情を撮っても怒りの感情が伝わらないと判断したら、さらに追加のカットを検討します。

こういった現場の判断を迅速にしなくてはならないのが監督の難しいところです。現場で監督が考え込んでしまうと、全てがストップしてしまいます(汗)。これは撮影現場の最大の恐怖。想定外の事態に迅速な対応が求められるとき、監督の手腕が試されます。

画像3

”セオリーを壊す勇気”がインパクトを生む

と、ここまではある意味でセオリー通りのカット割りを説明しました。ただ、セオリーから外れたカット割りが、インパクトを生むことがあります。自主制作で映画を作る場合、”セオリーを壊す勇気”を持つと自分と観客の両方にとって忘れられない作品ができあがるというわけです。

セオリーから外れたカット割りが強烈な印象を残す作品として、私は北野武監督の『あの夏、いちばん静かな海。(1991年)』を挙げたいと思います。この映画は北野監督の3作目にあたり、サーフィンを始めたばかりの青年と仲間たちの交流を描いた浜辺のヒューマンストーリーです。ラスト1シーンのカット割りに私は驚きました。

このカット割りでは、広い空間を撮した構図をパン(カメラを左右に動かして撮影すること)したカットが2回続けて使われていますが、1回目と2回目の間で物語の時間が経過しています。ほとんど同じ画面が続くため、私を含めて時間の経過に気がつかない人がほとんどではないでしょうか。

時間の経過がある場合、その説明のカットを入れるのがセオリーです。説明もなく同じ画面が続いたので何が起こったのか分からず、私は戸惑いました。しかし、この特殊なカット割りがあることで、観客が忘れられない作品に仕上がっていることに見終わった後で気がつきました。

唐突なカット割りに戸惑ったからこそ、「何が起きたんだ?」とシーンについて考えさせられたということです。で、しばらく後になってから「あ、時間の経過があったんだね」と分かる。理解のタイムラグがシーンの印象を強め、監督の思い入れにふさわしいインパクトを生んでいるのではないでしょうか。

画像4

セオリーを壊すには「作品意図の理解」が必要

『あの夏、いちばん静かな海。』は一観客として見ても素晴らしい作品です。一方で、作り手として“セオリーを壊す勇気”をもらった作品でもあります。「映画はもっと自由に作っていい」と気づくきっかけになりました。

ただ、複数のシーンでカット割りのセオリーが壊れていると、見づらくてしょうがない作品になってしまうと思います(笑)。想いを表すためにセオリーを壊す部分は、狙いを定めて最小限に絞りこむとメリハリが出ます。

セオリーを壊すには作品意図を十分に理解している必要があります。作品意図の表現が目的でセオリーを壊すのであって「壊すために壊す」は無意味です。

次回は、「作品意図」についてお話します。スムーズな進行とチャレンジングな表現に作品意図が果たす役割を知っていただければと思います。

画像5

★第2回「作品意図」を読む

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?