見出し画像

掌編小説【木馬】

お題「馬」

「木馬」

ノミをふるう微かな音が森の奥の小屋から響いている。その音を聴いているのは森の精霊だけだっただろう。コツ、コツ、コツ。その音は一日中響いていた。
日が暮れると彼は作業を終わり、粗末な夕食をとる。ランプに火を灯し、薄いシチューをすすり、床の隅に転がったままの手作りの積み木に悲し気に目をやる。あれも坊やのために作ったのだ。
しかし、昨年のクリスマス前にこの村を襲った疫病が、あっという間に彼の妻と息子を奪い去ってしまった。
「坊やのクリスマスプレゼントに木馬を作ろうと思ってな」
まだ疫病の噂もなかった昨年の秋、彼は思いつきを妻に話していた。
「まぁ、まだ早いんじゃないかしら」
「すぐだよ、すぐに大きくなるんだから」
木こりの彼は、山から切り出した立派なモミの木を使って木馬を作ることにしたのだ。手先が器用で、裕福な貴族や地主からも注文を受けるほど木工も得意な彼は、ゆりかごも積み木も子ども用の椅子も、坊やが生まれる前から作っていた。息子は夫婦が長年待ち望んでようやく授かった初めての子どもだった。できることはなんでもしてやりたかった。坊やはちいさな手で彼が作った手ざわりのいい積み木をつかんで笑っていたものだ。でも今、彼はたった一人、森の奥の小屋に残されてしまった。彼は働くのをやめた。そして一日中コツコツと木馬を作り続けた。それ以外になにもできなかったのだ。
ある日、いつものように小屋の中でノミをふるっている時、彼は夢を見た。夢というにはあまりにはっきりとしていたが、夢には違いなかった。なぜなら死んだ坊やが自分の隣にぺたんと座り、彼が作る木馬を見ているのだ。うれしそうに。彼は愛おしさで胸をいっぱいにしながら言った。
「もうすぐできるから、待っておいで」
坊やはハイハイして近づくと、ちいさな手で作りかけの木馬にさわり、声をたてて笑った。今までに聞いたどんな美しい鈴の音よりも軽やかで明るい声だった。
ふと気づくと小屋の中は薄暗くなっていた。坊やも消えていた。彼はがっかりしたが、坊やの笑い声が耳にはっきりと残っていた。彼はそれが消えないように手で耳をそっとふさいだ。
それからも木馬を作っていると坊やが夢に現れた。坊やは少しずつ大きくなっていた。
「おとう、もくば」
「お前、しゃべれるようになったのか」
彼はうれしくて息子を抱き寄せた。息子はくすぐったそうに彼の腕の中でジタバタした。目が覚めてもその温もりと感触が腕に残っていた。彼はその温もりが消えないように両手をしっかりと胸に抱え込んだ。
そのうち、坊やは夢の中で歩けるようになっていた。
「おとう、木馬はいつできるの」
彼の服の裾をひっぱってたずねてくる。
「もうすぐだよ。お前にちょうどいい木馬ができる」
「おとう、こんないい馬は王子様だってもってないね」
「そうとも、王子様だってもってないぞ」
たしかに彼の作っている木馬は、すばらしかった。彼の技術と情熱、あるいは命の全てが注がれていたと言ってよかった。隅々まで美しい彫刻をほどこし、手で触れるところは丹念にやすりをかけ最高の手ざわりにした。
彼は食事も摂らずに木馬作りに没頭した。もうすぐ完成する。坊やはどんなに喜ぶだろう。彼は今では坊やが生きているように感じていた。
夢の中の坊やは木馬に乗るのにちょうどいい大きさに成長していた。彼が最後の仕上げに磨きあげているのをきらきらした目で眺めている。
「おとう、できた?ぼく乗ってもいい?」
「いいとも。乗ってごらん」
彼は息子を抱き上げて木馬に乗せ、少し揺らしてやった。彼がなによりもしたかったことだった。坊やと木馬の重さを両手に感じ、彼の胸はいっぱいになった。
「おとう、こんないい馬は王子様だってもってないね」
「そうとも。王子様だってもってない。最高の馬だよ。お前だけの馬だ」
「おとう、一緒に乗って。おかあも待ってる」
坊やが木馬をゆらゆら揺らしながら彼を見上げた。その時小屋全体が光に溢れ、彼の目はまぶしさと涙でかすんだ。次の瞬間、彼は息子と一緒に馬で雪原を駆けていた。木馬はいつしか本物の馬になっていた。見事な毛並みの立派な白馬が飛ぶように駆けている。
「おとう、走ってるよ」
坊やが鈴の音よりもずっと明るい声をたてて笑った。
「おとう、こんないい馬は王子様だってもってないね」
「そうとも。おとうがお前だけのために作った最高の馬だからな」
「ありがと、おとう」
彼は息子のぬくもりを胸に感じた。
二人はいつの間にか金の刺繍をほどこした立派な衣装を身にまとっていた。王と王子のように。そしてマントをはためかせながら白馬を操り雪原をどこまでも駆けていった。

翌年の冬、森の奥の小さな小屋を、狩猟中の王様が見つけた。ふと心を魅かれて中に入ってみたが人がいる気配はない。ただ、床の上に得も言われぬほど美しい木馬が、ひっそりと冬の淡い光を受けて輝いていた。王様は息をのんだ。
「ここは誰の小屋か?」
「以前は木こりの家族が住んでいたはずですが。あの疫病で亡くなったのでしょう」
従僕が答えた。
「これはなんと美しく立派な木馬だろう。ぜひ王子のために持ち帰ろう」
しかし、従僕が木馬に手をかけると、木馬は砂糖菓子のようにバラバラに砕け散った。
そして戸口から吹き込んできた北風が、あっという間に跡形もなく木馬を消し去ってしまった。

おわり (2021/12 作)

おもしろい!と思っていただける記事があれば、サポートはありがたく受け取らせていただきます。創作活動のための心の糧とさせていただきます☆