保健=体育の「2軍」?


「ん、中学の保健の授業って、何やったっけ・・??」

先ほどふと、シャワー浴びてる時に思いました。
そこから頑張って考えたのですが、出てきたのは性教育のビデオを見たことと、えげつない量のプリントの穴埋めをしたこと。

2つです。2シーンしか思い出せませんでした、中学校の保健の授業。

まぁそりゃそうなんですよね。だって私の中学校、「雨降り保健」だったんですもの。

ちなみに雨降り保健というのは、雨の日の体育の代わりとして、保健をやることです。皆さんも経験されたことあるんじゃないかと思います。でも。

雨降り保健って、ヤバくないですか???


ちなみに中学校の保健は、3年間で48時間の履修が義務付けられています。

しかし過去には、なんと7年間も保健の授業を行っていなかった中学校の存在が明らかになり、物議を醸しました。(以下リンクです)


まあこんなことを言っておいて私も中学生の頃、体育が大好きだったので机に座り続ける保健は時間を損している気分でしたが、、、笑


保健という教科がぞんざいに扱われる中心的な理由として、「子どもが必要感を得られない」ことが原因であると、いくつかの研究で示されています。中学生からしたら、「こんな行動は危険だ!将来のために言うことききなさい!!」と何故か怒られている気分かもしれませんね。

ところで少し前、本田圭佑さんのこんなツイートがあり、武藤嘉紀選手が反論したりして反響を呼びました。

学校の宿題は嫌ならやらんでいいと思う。あのやってない奴があかんみたいな空気が辛すぎる。
「宿題を我慢してやっとけば大人になったときに役に立つから」って言う大人ほど無難な仕事はないし、無責任なことはない。やるべきは好きなことを見つけるキッカケを提供し続けること。

この発言自体に対しては長くなるので書きませんが、たしかに宿題という制度は先生から「これを覚えてたらいいことあるよ」と受動的に与えられるものがほとんどでしょう。
宿題と同じように保健も、「これを覚えてたらいいことあるよ」という情報を伝えている授業がほとんどであり、それが近年の課題となっています。インターネットが身近な今、検索すればすぐ出てくる情報をわざわざ教師が教える必要性はあるのでしょうか??

さらにいうと、保健の授業、ひいては学校教育が担う役割は、知識の習得、情報の伝達から世にある「概念」を考え直すきっかけや場を生徒たちに提供することへと変化していると思うのです。「健康」って何だろう。「性」って何だろう。ただ教師が生徒に「情報」を伝達するのではなく、生徒一人ひとりが「概念」を批判的に捉え直し、それぞれの「答え」を作り上げていく。そんな時間を保健という教科のなかで、教師がデザインしていけたらステキだと思うのです。自分自身で考え、「答え」を作り上げていく力は、どんな時代でも必要です。


余談ですが、中学生相手に「世の男性らしさ」「世の女性らしさ」について50分考え続けるジェンダーの授業を行ったことがあります。上記のテーマを黒板に書き出したり共有したりする過程で、「これは違うよ!」「人それぞれだよ!」という声も聞かれました。固定観念にとらわれず、世の概念を捉え直すことで新しい気づき⇒学びに出会える授業を展開していきたいですね。

受験というシステムに縛られない「保健」の授業を通して、世の中の「概念」を捉え直し自分の中に「答え」を作り上げていく。そんな新しい保健の授業を通じて、「保健=体育の2軍」という構図をぶっ壊していきたいものです。


最後までご拝読いただき、ありがとうございました。

2020.8.2

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