【陸奥と下野の県境をめぐる旅2023④】古代の官道 東山道に鎮座する追分の明神(福島県白河市)
前回の白河の関跡と白河神社の記事から少し(結構(;^_^)時間が空いてしまいましたが、東山道に鎮座する境の神、追分の明神を(サラリと)ご紹介。
前回記事の【陸奥と下野の県境をめぐる旅2023②】はコチラ↓
「境の神」「追分の明神」って何?という方は、コチラのサイトが役立ちます(;^_^)aoineko29ことわたしが書いていますが、めっきり更新頻度が減っております。
記事の使い回しで対応します(;^_^)
「白河の関」跡と白河神社から南へ約3km、下野国(現在の栃木県)と陸奥国(福島県)の県境に鎮座する「追分の明神」。律令時代に建設された古代の官道「東山道」の関東最北、陸奥国の最南にあり、「境の明神」とも呼ばれています。
栃木と福島の県境には、もう一座(正確には二社)、近世に入ってから整備された「奥州道中」(現国道294号)の「境の明神」が鎮座。以前「つぶやき」でもチラリとふれましたが、最近ポケットパークが整備され、参拝しやすくなりました。こちらは次回ご紹介予定です。
さて、今回は「東山道(とうさんどう)」の「追分の明神」です。
栃木県道・福島県道伊王野白河線の県境に鎮座。
「那須町の文化遺産」公式サイトによると、かつて東山道の「追分の明神」は、両県にまたがって二つの社が鎮座していたとか。しかし、現存しているのは関東側の社だけだそう。
どちらの県にどちらの神が祀られていたのか、定かではありませんが、地元の祭の旗には、「玉津島」とだけ記されているため、栃木県側に玉津島神社、福島県側に住吉神社があったと考えられています。関東側の社殿のみ残っているため、「関東宮」とも呼ばれているそうです。
福島県白河市側から栃木県方面を望む。
こちらが道路脇の崖の上に鎮座される「追分の明神」。
います。神秘的なというか、神々しく、少し怖いくらいの雰囲気をかもしだしています。
「玉津島神社」の社票↓
地元では「住吉玉津島神社」と呼ばれているそう。これは住吉神社と玉津島神社の二社があわさったためと思われるそうです。御祭神は、住吉の中筒男命、玉津島の衣通姫命。
ご祭神について詳しく知りたい方は、以下のサイトが便利です(;^_^
那須町指定史跡の「義経伝説」の解説板。「義経が通ったころは、すでにさびれた山砦にすぎなかったことでしょう」と記されています。しかし、「その昔は、関東と欧州との境の大切なとりでだった」とのこと。
義経の足跡も一度辿ってみたいなあ。
次は奥州道中の「境の明神」をご紹介します!