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日記_240627

10年。私が死んだり再生したりしている間に、あなたたちは健全に傷ついたり喜んだりしていたんだろうね。在る景色は同じであろうとも、網膜から先の話は違うのも仕方ない。まるでアッパードラッグのキマったかのような健常者には、私の景色はわからないだろう。炎天下を屍のように歩き、恨めしくビルの影に飛び込む生命をあなたは知らない。病気だとか障害だとかの言葉で村八分にすることで理解を拒絶されても、まだ生きているよ。 "大人"のいう通り私は馬鹿げた人間だと思う。戦うことを辞めてしまったから。

    • 日記_240610

      仮に幸福に生きるということが人生の目的なのであるとして、最近多く見受けられるのが「損しない」「傷つかない」こと=幸福だと思っているタイプだ。それ自体は別にまあ好きにしてくださいという気持ちでしかないのだが、年齢を重ねるにしたがってそのタイプ、自分は「生活中心主義」と呼んでいるが、それが増えたように感じる。最初からそういう人はそもそもあまり深くかかわらないので良いのだが、親しい人がそうなっていくと悲しいというかやるせないというか、そういった人間に自分はとことん嫌悪されるので、実

      • 日記_240518

        「生きることは罰なんだよ」 この言葉の本当の意味を理解するためだけに生きているかもしれない。 個に、愛に期待して希望を持ち救われ、広義としての社会システムに虐げられ絶望する。社会システムに選ばれなかった人として、静かな幕引きをするか、報復をしてメディアに玩具を提供するか。私が今から社会に報復をしたら、それは悪なのか。悪は、一体誰が決めているのか。その悪を生み出したのは、一体誰なのか。 1000円札を得るために10円玉を捨てるのが(資本主義の)社会システムだ。そこでは記号的

        • 日記_240401

          生まれてきた時から見てきたものの異常さというのはわからないものだ。空気の味がわからないように。役割を持った自分しか愛されることはなく、役割を手放してしまった今、私を愛するものは私を含めて誰もいなくなった。愛は「役割からの解放」だと定義するのであれば、私を愛する人は、私の人生において居なかったようだ。 わかっている。自分が期待しすぎていることは。役割を全うすることで愛されていると錯覚しながら生きることが、多くの人にとっての幸せな人生であることもわかっている。自分がおかしいだけ

        日記_240627

          日記_240305

          とんでもなく憂鬱な日々が続いている。訳は分からないけれど、ほとんど横になっている。胃が痛い。気持ち悪い。一日数回は吐いている。でも別に何か特別な悪いこと、ネガティブな事件などはない。むしろようやく立ち上がって前へ進もうと思えるようになったところだ。いまが人生で一番、前向きだ。今まで幾度も手にしてきたあいつらの言う"成功"、特別な賞も、お金も、名声も、何もない。信じているものもない。守るものさえもない。誠実さを取り繕うことさえできない。上手なウソもつけない。ただ、わからないけれ

          日記_240305