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*1 「言葉と生きることを選んだ」


おはよう、こんにちは、こんばんは。
四藤 汐(よつふじ うしお)です。

初めて記事を書くときは緊張します。「初対面の人と話すとき」に緊張するのと同じ感じ。ノートとやらがよく分かっていないのですがあまり形式ばった感じではなく、一人ひとりに手紙を書くような気持ちで更新していこうと思います。

このnoteで自分が伝えたいことはものすごくシンプルです。


「平均から飛び出した個性を受け入れる」
「この世界のいい言葉・綺麗な言葉の総数を増やす」


です。
さていきなり「世界」なんていう大きなワードが出てきたけれど(笑)、自分はかなり真面目にそう思っています。そう、大真面目に言ってるよ。本気です。

この世界には暴力的な言葉や、攻撃的な言葉があふれています。
ぼくは日本人ですが、日本で生きていてもそうだと思う。電車の中で暴言を吐く人、町なかで何かに怒っている人、Twitterで誰かを責める人。
ぼくにはその人がなんで怒っているのか、なんでそんなに苦しそうなのかはわからない。でも「どうしてそうしてしまうのか」をよく考えてしまう。そんな言葉がいらないくらい、幸せになってくれればいいのにと思う。残念ながら喧嘩は強くないし、心が脆いので、その人自身に注意しに行く強さはないんだけれど。自分は弱いなぁずるいなぁと思いながら、その日一日、その人のことが頭から離れない。


「怒りや、怖さを覆いつくすくらいの、やさしい言葉が、この世界にあふれてくれていたらいいのになあ。」


それが、自分がnoteをはじめたきっかけです。
それと自分はとっても傷つきやすくて脆くて「なんでそんなことで」とよく言われてきました。平均からみたらかけ離れている人間なんだと思う。社会不適合者なんです。社会人も一年つづかなかった。
そうやって苦しんでいる「平均からちょっとずれているといわれる人たち」「自分は変なのかなおかしいのかなと思う人たち」がもし、どこかにいるんだったら、その人にこんな生き方や考え方もあるって、noteを通して、伝えたい。
ぼくが自分のことを書くことで、どこかの誰かが「一人じゃないんだ」って思ってもらえればいい。「こんな変な人もいるんだ」って笑ってくれればいい。

言葉は簡単に人を傷つける凶器になり得る。自分が発信することで誰かを傷つけてしまうかもしれない。それでも、ぼくは、言葉と生きていくことを選ぶよ。
大切な誰かが流した涙を、涙のわけをちゃんと知ることができるように、言葉を知って、言葉を大事に使って、生きていこうと思う。
だから大層なことを言ったけれど、これは自分のためのnoteでもあるんだ。四藤汐が四藤汐であるために書いている。だからまあ半分自分のためだけれど、自分のため兼誰かのためになったら素敵じゃない?


今日はここまで。長いのに読んでくれてありがとう。不定期でnoteは更新していくつもりです。よろしくね。

(ヘッダーはyokoichiさんです。お借りしました! 桜と水ってなんでこんなに素敵なんでしょうね)

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