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十のフォントから書いた十の瞬篇小説


 ウェブには信じがたいほど親切な方々がたくさんいて、難しいソフトウェアの扱い方や、楽器の弾き方や、健康的な生活の仕方を教えてくれる。
 だから日々感謝に堪えないのだが、なかでもありがたく思っているのは、フリーフォントを提供してくださる方々の存在である。

 作成にはどう考えても膨大な時間と時間がかかっているわけで、彼ら彼女らこそヴォランティア中のヴォランティアと言えるだろう。

 何かにたいする深い愛と、広い対象への無償の親切心という、矛盾する要素を兼ね備えた方々をこれだけ目の当たりにすると、大袈裟かもしれないが、わたしは人間というものにはまだ希望があるのではないかとさえ思う。とくに後者の要素を見ると。人類にとってより重要なのは、どう考えてもなんらかの種類の愛ではなく、親切心だろう。

 言うまでもなく文章を書く人間にとって、フォントはきわめて重要である。執筆から発表までの様々な段階で、わたしはフリーフォントのお世話になりっぱなしで、執筆時に用いるフォントを変えただけで、内容まで変わったことがあるし、PDFを編集者に渡す場合や、電子書籍のデザインの際なども、計り知れないほどその恩恵を受けている。

 そこで感謝の意をこめて、フォントから発想する小説というものを書くことを思いついた。全部で10篇、登場するフリーフォントも10種類。同人誌に書くようにとても楽しく書くことができたが、短期間に短いものをたくさん絞りだすのは自分の限界に触れることなので、久しぶりに自分が書けること書けないことについて真剣に考えた。そして作家は慣れ親しんだものを深く追求していくべきなのか、それとも一作一作新しいものを追うべきか、などといったことまで考えた。まあ、それは作家の性格によるのだろうが。

 登場するのは以下の10書体である。

  うつくし明朝体
  はんなり明朝
  こころ明朝体
  殴り書きクレヨン
  マキナス
  Kゴシック
  Oradano-mincho-GSRR
  GL-築地五号+平成明朝体
  しっぽり明朝 流
  創英角ポップ体

 おなじみのものもあるかと思う。ウインドウズでしか使えないものもあるので、そのあたりはもうしわけない。

 タイトルに掲げた「瞬篇小説」という語に見覚えのある方は、あまり多くないかもしれない。わたしはこの語を塚本邦雄の作品集から知った。同義の語で「掌篇」「ショートショート」「超短篇」「瞬間小説」などがあるが、今回はこの言葉を使おうと思う。

 最初に登場する瞬篇は、自分が使う明朝体のなかでも頻度の高い「うつくし明朝体」を眺めて、浮かんできたものである。題して「虹に手を振る」。「虹」の語を思いついたのは、フォントに美的なイメージがあるからだろう。これは寓話ということになるのだろうか。

 自分の書いたものを客観的に判断することはできないのだが、一般によいフォントというのは、行間に漂うものを増幅してくれるところがある。作った曲をいい声で歌ってくれる歌い手のようだとも思う。

 二番目は「はんなり明朝」から発想した「王の帰還」である。
 はんなり明朝はほかのフォントより小作りで、佇まいが優美かつ古典的である。なので以下のようになった。あるいはダンセイニ卿の魅力的な掌篇群の影響があるのかもしれない。

 
 3番手は先に作品を。

 わたしはこのフォント「こころ明朝」から、大正モダニズムや雑誌『新靑年』を連想する。縦長ですっきりしたところが、そのあたりの洒脱な小説に似合うような気がするのだ。渡辺温のような作品がこれで書けたらさぞかし気分がいいだろう。

 4番目。つぎのフォントはいかがだろう。明朝体を見慣れた目にはかなり衝撃的である。

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