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だって、人間だからねえ。

「どうして、思い出すのもつらいことなのに、語りつづけるんですか?」

「そりゃあ、だって、人間だからねえ」

高校生のときの修学旅行。胃が痛くなるほど緊張して訪れた広島の地で、ぶしつけな質問が口を突いてでてしまった17歳のわたしに、被ばく者のおばあちゃんが言った。

もう25年も前のことだから、あのおばあちゃんはもう、天国かな。お名前はたしか…佐伯さん。うちのお子②と遭遇したかしらんね。

(もしやと思って検索したら、ヒットした。ちょっと感動)

8月6日、午前8時15分。広島に原爆が投下された。

もう75年も前。でも、まだたった75年。

高校2年の修学旅行で広島を訪れることが決まると、ヒロシマを風化させないために学生たちと被ばく者の方たちを繋ぐ活動をおこなっている江口さんというおじさんから、いろいろな知識をもらって、事前学習をすることになった。

江口さんからのわたしたちへのオーダーは、「ヒロシマの心を受けとめてほしい」だった。

“ヒロシマの心を受けとめる”って何だろう。

それから毎日のようにヒロシマを題材にしたプリントみたいなのを先生たちと一緒に作って、学年のみんなに配って…その“受けとめる”について、考えていたのを覚えている。

細かいことはすっかり忘れちゃったけれどね…

GHQが被爆の実態を記録した映画『人間をかえせ』を講堂で観て、人間の皮膚が溶けたリアルな映像にかなりのショックを受けたこと。その時点で世界には軽く地球7個は爆破できる原子力があると知ったこと。井伏鱒二の『黒い雨』とか読まなきゃだったけれど、苦しすぎて完読してないのに読んだとウソをついたこと。『はだしのゲン』もめくるのがそうとう怖くて適当にしか読めなかったこと。もしかして妙にさめた自分がいて現地に行って何も感じなかったらどうしようと不安だったこと。実際に広島の地を訪れた日の空は真っ青な快晴で、なのに気分はむっちゃグレーだったこと。バスの座席で青い空を眺めながら、この地面の下にはたくさんの死者たちが埋まっているんだと懸命に想像しようとしてたこと。平和記念公園が思ったよりこざっぱりしていてきれいだと思ったこと。韓国人原爆犠牲者慰霊碑は本当に敷地の外にあったこと(今は敷地内に移ったみたい)。そして、いざ被ばく者のおばあちゃんたちに会ったら、まだ話を聞く前から涙が止まらなかったこと。そしてそして、お話の最後にクラスを代表してお礼を言わなきゃいけなかったのに言葉がまったく見つからなくて頭が真っ白になったこと。お礼もろくに言えなかったのに、おばあちゃんがギュッと手を握ってくれて「あ、あったかい」と思ったこと。は、覚えている。

うん。これがほぼ記憶のすべて。かなり遠い記憶だけれど。

と思ったら、本棚に忘れてた一冊を発見!

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今になっても、ヒロシマを受けとめられている自分になれているのかは、正直わからない。

ただ、おばあちゃんの「だって、人間だからねえ」は、わたしの原体験みたいなもののひとつに、なっている。

ひとは弱くって、一瞬で塵になるくらい儚くて、もろい。自分ばっかり助かりたくて、窮地にあるときほどエゴが出たりもする。

だけれど、弱くったって、愛おしくって、失った大きさたるや計り知れない。だから人間が人間を傷つけるなんて過ちを繰り返さないように、語りつづけるんだよ。

ってね。ちがうかな。どうかな。

人間の弱さと愚かさ。ここを直視しないと、戦争はいとも簡単に起こってしまう。後悔の歴史が、いとも簡単に繰り返される。

だから、おばあちゃんたちは、語っていたんだ。きっと。

苦し過ぎる記憶を掘り起こして、伝えていたんだ。

だから、どうか、被爆国に生まれた自分であることを、大切にしつづけられますように。

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中学受験のとき、お腹が痛くなりまくって、トイレ行きまくって、志望校はぜんぶ落ちて、偏差値むっちゃ低くてすべり止めのつもりだったのに、補欠でなんとか入った学校だった。だけれど、ここで学んだこと、けっこう大きかったのかもしれない。ウェブサイトをみたら、このプリントを綴っている大石先生が、いま校長先生をやっているらしい。もうおぼろげな記憶ばかりだけれど、なんだか、しみじみ。

でも、ノスタルジーじゃなくってさ、いつまでも続いていく現実なんだよ。

ヒロシマは。

(自戒を込めて)



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