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大切な感覚の磨き方

先日のこと。

お子①は学校から帰ってくるなり宿題を済ませて、近所のクラスメイトの家へ向かう。いつもどおりiPadと水筒とキッズフォンを小さなトートバッグに詰め込んで、マスクを付けて、お買い物スタイルで玄関を飛び出していく。その姿は何度見ても愛らしい。

そしてふだんは、18時ちょっと過ぎには息を切らせてルンルンの様相で帰ってくる。

でもその日は、帰ってくるなり神妙な顔でこう言った。

「いまアメリカは戦争みたいになってるんだって」

「え!?」

一瞬、面食らって、わたしは固まってしまった。

どうやら、おじゃましていたお友だち宅では、いつもテレビがonになっていて、そこでニュースを見てきたらしいのだ。

わたしは一人暮らしを始めた20歳からテレビを見ない生活なので、わが家でも相変わらず地上波を見る習慣はゼロ。TV自体はあるけれど、NetflixやAmazonなんかを見るスクリーンとしての役割しかない。

だから、たまに訪れた地元の中華屋さんなんかでテレビがonになっていると、久しぶりすぎて目新しくて、なぜか釘付けになってしまう。

おそらく、お子①もお友だち宅でそんな体験をしているらしく、釘付けで見ていた画面でドンパチの映像をキャッチしてしまったのかな、と推測した。

そう。アメリカのウィスコンシンで銃撃があった日だった。

テレビで流れるニュースは基本ネガティブなものが多いから、ふだんはインプットしなくていいというのが、わたしと相方さんの共通認識だ。

本当に大切で重要な情報は、身近な誰かから、必要なときにかならず入ってくる。だからふだん、わたしはおバカなんじゃないのというくらい、世の流れを知らないことが多い。編集者だとそれはやばいんじゃない!?という発想もふとよぎったりもするけれど、調べるべきコンテンツが自明なら、いくらでも深堀できるツールはある。だから日常において、インプットは厳選したいと思っている。

でも、お子①自身が、彼女だけが接する世界で、わたしとはちがったかたちで情報を受けとってくることもだいぶ増えてきた。そこを制限できるわけはなく…となると、今度はどう受けとるか、どう感じるか、が重要なファクターになってくる。

彼女の口から「戦争」という言葉が出てきたのにも驚いたけれど、彼女が心を痛めたのには、別のレイヤーがあるようだった。

イベントで激忙しい相方さんですら、帰ってくるなり彼女の様相がいつもと違うのに気づいた。「何か学校であったの?」と。

ちがうのだ。彼女が傷ついた理由は、そのあと夕食のときに口にした質問で判明した。

「どうして、黒人のひとはわるくないのに、わるいみたいに思われちゃうの?」

目に涙をうかべて、完全なる半べそだった。

(ああ、いま感受性が育まれている真っただ中なんだなあ〜)

という自分の心の声が聞こえた気がするくらい、胸がきゅーっとした。

すべての事象を善悪の二元論に落とし込めるわけではないけれど、彼女の感じ方は、わたしにとっては“正しい”気がして、とてもうれしかった。

“差別”という社会問題について、8歳児の彼女と面と向かって話したことは、まだない。だけれどニュースを見た体感として「何かおかしい、悲しい」と感じた彼女は、すでに差別という問題の核心に触れたんだなと思った。

肌の色や出自がちがっても、みんな同じ人間なんだから、傷つけあうのはおかしいよ。

というシンプルな真実は、まだ先入観というものに侵されていない8歳児の彼女には、クリアに見えている。

子どもたちが受けとる情報は膨大すぎて、その影響を考えはじめると心配は尽きない。でも、世の情報や誰かの価値基準にまどわされずに(もちろん傷つくことはあるだろうけれど)、自分の基準を信じて育める子になってほしい、と今は願う。

育まれつつあるその感受性を、どうか大人が汚してしまいませんように。


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