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歴史の隅にサブカルチャー

ピカピカしているものの裏側は意外とお粗末な感じだったりします。しかしそれが難癖あって意外とポイントだったりもするんですよね。

物事の裏側を知ることが好きなんだと、最近になってから「自分の学び方のクセ」のようなものがわかるようになってきました。ものの仕組みとか原理とかも。youtubeとかで最近見ている、歴史をひたすら説明したり、それに関係する「実はね…」という部分がすごく面白い。

例えば作り話のようなことでも、「この物語と、この物語は、繋がっていないようで実はこういうところで繋がっているような描写があるんだよ!」なんてことがあると、「うおっぷ。まぢか!」なんてワクワクするのだ。

実を言うと歴史なんてそういうのの連続だ。つまりは、だいたいの説明がこんな感じで進んで行く。→→→
⑴歴史上こういうことがあった⑵それはなんとかという理由で⑶そして実は…かんとかというひとにつながっていて⑷後のぽんぽこにつながって行くんですね!なんて説明されると…ウンウン!となる。
それに加えて⑸この時の流行っていた物はコレコレで⑹その時にソレソレが発明されたんだと。⑺そしてそのときその発明品をよくなになにさんが使っていたから⑻どれそれになったと、こういうわけなんですね〜(ヘェ〜そうなんだ)

なんていう⑸〜⑺あたりのプラスアルファな解説がいちばん面白かったりする。

つまり、なんでもかんでも僕は、ちょっと詳しいひとの文化だったり、変わった文化やマニアな文化が好きなようなのだ。大通りの歴史よりも、ちょっと横にある、入り組んだ道とか奥まったところや隠れたところの「歴史のサブカル」が好きなんだな。サブカルの歴史ではなくて、逆。歴史のサブカル。

例えば、物のはじまりの歴史だったり、音楽の歴史なんかが面白い。料理の歴史やファッションの歴史も面白い。そのルーツを知る、というやつだ。今の時代だとテレビゲームの歴史とか、そうだ昔の遊びの歴史なんかもおもしろみがある。

ジーンズは元々作業着だったんだとか、ハンバーガーはサンドイッチの仲間なんだとか、コカコーラは実は元々コカインが入っていて、なぜならこういう背景があったからなんだとか。とかね。
ファミコンが流行ったときは、実はファミコンだけじゃなくて色々テレビゲームがいくつも発売されていたんだとか。(コレには驚いた)
寿司は元々、おにぎり並みにデカかったとか。着物に革靴を履きはじめたアイツが西洋の文化を取り入れ出したんだとか。
当時は、こういう宗教が流行っていて、週末は教会に行ってから、バーに行って流行りの歌を聴きつつ酒を呑んで過ごしたんだ。とか。
そういう、人々の日常をザクっと掘り起こして知るのが面白い。

結局のところ、歴史は日常に潜む小さなことの積み重ねで、やれ勉強したことや、努力したことや、度重なるストレスと、病気や当時の流行や無知と戦争やお金とか信仰が、混ざりに混ざって、誰かがグッとギュッと絞り出したかのような勇気で成された結果なのだ。

僕らは、その歴史が終わって「やれやれ」と見終わった映画のように、ソファーに座りながら観ているわけではない。
その続きの最先端に僕らが生活しているのだ。

面白くないハズがない。

歴史的嵐が来たんだって?
何でそれが歴史的なのか、それは僕らの生活が荒らされてしまうからじゃないか。友達や恋人がいなくなってしまうかもしれない。親や兄弟がいなくなってしまうかもしれないのだ。
磨いた靴や揃えた服が泥だらけになって、せっかく集めたカードや今読んでる本や、ハマっているゲームが水浸しになってしまうのだ。

そんなのは嫌だ。
そんなことで終わらされたくはない。
そんなことで終わりたくない。

今いちばん楽しい、自分自信というサブカルを終わらせてはいけない。

ピカピカの裏側を見て学んで、なるほどとうなずく、これからの僕は。

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