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願いのコイン

使うためにそこには存在しているのに、使っていはいけないものがある。


映画を見てちょっとしたどうでもいいシーンに少しだけ考えるきっかけをもらった。
本当にどうでもいい、なんでもないシーンだ。

こども達が“宝探し”と称してとあるレストランから続く洞窟に迷い込む。
行く先々で様々なトラップに驚き、困りながらもすすみ、とある空間に出た。
光が上から差し込んでいて幻想的だったことに皆は息を飲む。
光が差し込む穴の真下にキラキラと水が湧きコインがたくさんあった。

「お宝だ!」
と拾いあげるが、よく見るとそれは今でも使われている“お金”だったのだ。

そこで気づく。
そうか、ここは僕らの住む街の真下にある。そしてココはとある公園にある“お願い”をする泉なんだと。

「そんなことは関係無いよ!これは僕らが見つけたお金なんだ」と言ってかき集める子もいたのだが、そこで止めに入った女の子のセリフが僕は印象的だった。

「そのお金には、それぞれの“願いや想い”が込められている。それを自分のものとして使うことはできない!元に戻して!」


なるほど。いい考え方だ。
それを聞いてかき集めていた子らは手を止める。
僕にもその気持ちが少しだけわかるような気がした。

僕らがアルバイトや仕事をして働いていただいたお金は、ある意味で“直接お客様からもらったお金”とはイメージしにくいが、何か商売をしているなら、もしくはしたことがあるならなんとなく、その“願いや想い”がわかるのではないだろうか。

自動販売機やファストフード、電車やバスでの移動に使うお金はもはや、はした金のように使っているが、誰かが丁寧に作ってくれたお菓子やコーヒーやランチだったり、手ぶくろや帽子のような小物を買ったりするときは、何か“少し特別な感謝”を込めて買っていないだろうか?

それは“知人だから”とか“友達だから”でも何でも良い。

その作り手がいくらか時間を割いて作ってくれたと考えたり、その努力をいくらか知っていたりする。それを感謝したり、“嬉しいなぁ!”と感じたりすることは大切だなぁと思ったのだ。

毎年毎年、神社とかのお賽銭箱を漁るひとがいるけど、たぶん、自分で稼いで感謝したことがいくらかでもあるなら、そういう侘しいことをする事はないはずだ。

いやわかんないけど。

何かを買う時くらいはそんな風にも考えたいと思うよね。きれいごとでも。


自分がどういう理由で生きられているのか考えよう、これからの僕は。

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