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値札にこそ価値がある

僕の考え方は間違っているのだろうか?


「そこにあるだけでも価値のあるもの」というものは存在するけど、僕にとっては、使わないものをそこに置いていたって何の価値もないかななんて思ったりする。
たとえばヴィンテージのジーンズがあったとすると、めちゃくちゃ価値のある古いものだったらみんなが見て価値のあるものへと昇華してしまえばいいと思うが、もし個人で持っていてタンスの中で眠ってしまうというのであるならそれは宝の持ち腐れそのものではないかと思う。
僕もジーンズが好きだから持っておきたいのは気持ちはわからんでもないけど、僕もジーンズはもう履かないなと思ったので全部処分した。

人類最古のジーンズとなればめちゃくちゃ価値のあるものだとは思うが、それはもう時代が作り出したアートとも言った方が価値が出る。


個人個人で何か価値のある歴史的なものやアートを持っていたとしても、誰にも見せずに屋根裏にしまっておくくらいならいくらかお金を頂いて手放してしまった方が価値が出ると思っている。

ここで考えるのが「使う」道具の話だが、道具もそうだろう。使わなければ意味はないし、服もハンガーに吊りっぱなしだったら何のために持っているのかよくわからないのではないかと個人的には考えている。



しかし、ここまで言っておいてなんだが…、何でめずらしいものって「欲しい」という気持ちに駆られるんだろうか?
僕なんか好きなものはとことん(でもないけど…)収集したい気持ちがあり、ちょっとでも珍しかったり限定的なものがあったりするとすぐに欲しくなったりする。
たとえば、期間限定の新しい味のお菓子とかジュースとかでもそうだ。それで何度となく、「やっぱり普通の味を買えばよかった…」と後悔を経験している。(僕の場合“じゃがりこ”で多いかと思う笑)成功例で言うと、カップラーメンはまずまず美味しいが、おやつ系のものやジュースでよく失敗しているかな。
それに関して言えばかなり限定的かなと思うけど、例えば僕の場合買うものは何でもそうだ。ちょっとでもなかなかめずらしいという情報を聞いただけでも、なんとなく「欲しいな…」と思うことがよくある。  いや、べつに全然使う予定のないものだってそうである。
たとえばキャンプ道具とか、安い時計であってもそうだし(チプカシが好きだが、チプカシにもたまに珍しいものがある)、服なんかもそうである。
このカラーは珍しい、年代が珍しくて、こういう文字が印字されているのはなかなかなくって、この素材で作られた期間は短いから……。と珍しい珍しいと言われると、なぜかゴクリと唾を飲むかのようにしてじっくりと見たりするのである。…変なの。よく考えると変である。


珍しさとか貴重さって、みんなに見られるから勝ちがあると思えばいいのかな…。
それこそ、絵画などは珍しい。原画はこの世に1枚しか存在しないので、珍しいというか、“もはや宝でしかない”が、やはりそれも美術館などに飾られて、人々に知られるからこそ価値があると言えるのだ。
最古のジーンズを個人で履いていたとしても、道行く人々に見せびらかして歩くわけにはいかないし、個人で履いていたって着用者その人に履かれているってだけで価値はガクリと下がってしまうだろう。


なるほど、「珍しい」と言われて値札が付けられているうちは価値があるのだけど、値札が取り除かれた瞬間からその価値は無くなると考えると、欲しくなくなるかもしれないな。
皆が見て「あんなに価値があるものなのか」と認識されて店頭に並んでいるうちがいちばん美しいのである。





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