コメントした方がいいよな
最近なんでもかんでも「いいね」のスイッチがありますね。
いいねいいねいいねいいねいいねいいねいいねいいねいいねいいねいいねいいねいいねいいねいいねいいね…
いーーーーーーーーーーーーね!
と、“いいね”ばっかりです。
何がいいんだろうか?と、ちょっと前に考えた事があって、自分は本当に良いと思っていいねしているんだろうか?なんて考えてしまいました。笑 そんな事考えなくったっていいのにね。
それで疑問が出てきました。
いいねの他に何か“いいもの”は無いのかなぁー?と考えていたんですね。
その結果出てきた答えが
「コメントすることじゃないかな?」
と思いました。
みんな“いいね”はするんだけど、あんまりコメントはしないんですよね。(いやしなくてもいいんですけど…)
僕もこうやって作文を書いていると、いろんな方に読んでいただいて“いいね”をもらいます。
ありがたいですよね。ありがたいです。
たかだか自分のために書いているような作文を読んでくれて、おもしろかったよという意味を込めて“いいね”をしてくださるのはわかりますが、そんな中で僕は思ったことがあったんですね。
僕もそうですが、ひとというものは生きていれば時にネガティヴな感情に襲われてそれにガサガサと包まれる事があります。
僕だけでなく友達にもそういうひとがいますし、いろんな文章にネガティヴな要素をたくさん入れて書くひとがいます。
そういうネガティヴな内容を読んでその本人が周りのひとにどう思って欲しいのか知らないですが、そんな内容に関して僕は“いいね”なんてできないなぁなんて思うんですよね。
たとえば、かなりネガティヴなたとえで言うと、
「私の愛犬が死んでしまったんですよね。だけど私は元気だし、新しい犬も飼うつもりです。」
そんな文章に“いいね”はできるんでしょうか?
犬が死んでしまった事に関してはいいねはできないですが、本人が元気で新しい気持ちになって再び犬を飼おうと考えて前向きな事にはいいねできそうです。悩んでしまいますが、僕がこうやって悩んでいる反面で、軽く”いいね”するひとも中にはおられますよね。
そんな事はみんなの勝手だし、それぞれがみんなネガティヴな考えに関していいねをしているとは思えません。みんな故意にネガティヴな感情にいいねなどはしませんからね。
だけど、僕がもしそのひとの友達でそばにいるんだったら、「いいね」とは言いません。
何かしら愛犬を失った事に関して慰めたいと思いますよね。
(そういう時僕はだいたい言葉が出ないんですが…)
つまりはなんというか。
“いいね”ってテキトーな反応だよなぁ。なんて思ってしまって反省したんですね。
コレは、いいねだけしているひとの文句を言っているわけでなくて、自分がそうやって軽い気持ちでいいねいいねとボタンを押していないか?と考えたというだけなのです。
それをどうにか辞めてみるって事を考えて、じゃあ何をやるのか何ができるのかと考えた時に、「コメントをして自分の気持ちを与える」のはいいなと感じたんですね。
自分がそうやって思った事に自分で“いいね”しました。
もういちど言いますが、コレは自分に対して言っているのであって、いいねだけしているひとが軽薄で軽い挨拶みたいな気持ちでやっているんじゃないかと言っているわけではありません。いいねだけでいいんです。
僕はこれからなるべく、できるだけ“いいね”だけじゃなくてコメントしていこうと思った次第です。
こどもの頃、僕は本音で感想を言うのがすごく苦手だったんですが、本音で何かをコメントするのは最近おもしろく感じます。ネット上ではなおさら言いやすいです。
ネット上だとそれこそ、気持ちを隠して本音を語らないなんて意味がありませんから、これからは本音のコメントをなるべく言おうかななんて考えた次第であります。
現実でも本音をスッと言えたらいいんですけど…。
本音でコメント、これからの僕は。
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