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おねがいプレゼント

なんだか唖然とするような、とんでもないメールが届いてびっくりしています。


「今月はお誕生日だから誕生日プレゼントが欲しいな」
というメールが友人から来ました。

ん?久しぶりにメールが来たと思ったら、なんなんだ。笑。冗談かな?

お返しのメールで、とりあえずお誕生日で「良かったね、おめでとう。」と祝福したのですが、話は続きます。

お酒が飲みたいとのメールでした。
まぁ、世間は自粛自粛でどこにも行けないから、せめて自分の誕生日くらい何か贅沢だったりしたいし、誰かにプレゼントを貰ったりしたいんだろうなと考えたのでしょうね。
続いてメールです。


「10000円〜15000円くらいのお酒がいいなぁ〜」

とのことでした…。

ふざけるな。笑
単刀直入に暴言が出てしまいます。ちょっとした軽い冗談か、何か面白半分に言っているのかと思いきや、やりとりをしばらくしていると、どうも本気らしいのです。

僕は思いました。

何を言っているんだろうかこのひとは。

それくらいのお金があるんだったら、自分で何か別のものが買いたくなるし、そもそもそれほどの値段の物をひとにあげたこともないのに、そこまで親しくない友人に、いや友人と言うのもちょっと違うなぁと思うくらいのひとにそれほどまでの大金は出せないと思いました。(ちょっと考えたんですが、こんな歳になっても10000〜15000円程のプレゼントを誰にもしたことがないのもそれはそれでちょっとした問題ですね…)


と、ここまでは、なんとなくありそうな展開のメールだったのですが、そんなこんなで僕が渋ってそんなお金はないとか、自粛だから会えないでしょと言っていると、こんな風なことを言い出しました。

「そのうち10万円もらえるんだからさぁ、いいじゃん。1万くらい。」


そのうち…10万だと…?


確かに10万円の給付金は正直言うと楽しみにしていますよ。おそらく支払いに消えて言ってしまいそうですが…。

だけど、何に使うとかは特に決めていないですね。お酒をがぶがぶ呑まないように気をつけないといけませんね。
なんて、使い方には気をつけたいと考えていたんですが、具体的な“使い道”は全く考えていなかったです。


しかし、なんなのでしょうか、この何か貧しい気持ちをえぐられるような気持ちは!
何かに例えてみたいのですが、何にも当てはまりません。ただただ痛々しいというか、悔しいというか、どうにもできない苦しさに困惑してしまったのでした。


ちなみに僕がプレゼントをしないのは、そういうプレゼントをするひとがいないというのもそうなんですが、どちらかというとそれは、それほどまでの高価なプレゼントをすると「悪いなぁ」と思わせてしまうようなひとが、自分の友人には多いように感じるからです。いや、これは勝手に僕が解釈しているだけなので、ホントのところは実のところわかりません。


相手がどう思うとか、気を遣うとか遣わせてしまうとか、そんな風に考えるのがプレゼントではありませんし、値段がどうのというのを語るプレゼントも好きではありませんが、何かをあげて“喜ばせたいという気持ち”がいちばん大事かと思います。

どんな高価な物をあげたんだ、こんな高い食べ物を食べさせてあげたんだ、と話して、それが普通なんだ、良いことなんだ、それで相手が喜んでいるんだと話しているひとってすごいなぁって思います…。なんか、なんかすごいです。まじかって思います。


お金ってなんなのでしょうか?
友達や恋人ってどうやったら喜んでくれるのでしょうか?
高価な物と気持ちって、どういう関係があるのでしょうか?
プレゼントをされるほど、自分って好かれる人間なのでしょうか?
自分があげたいものと相手が欲しいものの価値観はどうやって埋めるのでしょうか?


「安い友達になる」だな、これからの僕は。

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二ノ宮金三郎
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