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怖い話がわりと好きかもって人も多い

不思議な話がわりと好きである。

怖い話から不思議な生き物、怖い人、現象、な経験談を聞いて、ひとりでゾッとしている。


みんな怖い話が好きかどうかは別にしておいて、1つや2つ経験していることがある。
物理的に不可能だと思えるような事だったり、ほとんどの人には見えないものが見える人がいたりする。

それを信じるか信じないかはまた別の話でもあるのだけど、信じているならそれはいったいなんなのか、もしくは信じていないのであればそれもいったいどういう事なのか?という事を考えないのかなと思った。


つまり、信じるも信じないもそれは「宗教的な話」にも通じるところがあるからだ。
つまらない話になるからあんまりこういう事を話したくはないのだけど、たとえば幽霊など信じているなら幽霊の家具が動いたり扉がドンドン鳴ったり人のような声が聞こえたりすると話も聞くが、じゃあその「動力源」っていったいなんなのか?って事である。


生きている僕らはバナナとかリンゴとかラーメンや餃子、スーパーのお惣菜とか冷凍食品を食べて、それをエネルギーに変換して動けるパワーに変えているのである。
言うなればそれも「現象」なわけで、その人が動いたり声がするという何らかの動きが見えるなら、この人は何かを食べて飲んで元気を出しているんだなとわかっている。しかし、その人が具体的に何を食べて飲んでその元気を出しているのかは不明である。

僕たちはそうやって、直接的に考えはしないけど心のどこかでは「ああ、この人は生きているな」と思って目で見ているのだ。つまり僕らはその動く人や喋る人を見たりしている事を、“この人は生きて活動している”と信じているがために、「この人も何か食べたり飲んだりしているんだろうなぁ」と考えたり予想することができるのである。

難しい。

不思議な現象の話に戻ろう。
では、たとえば幽霊がいるという事を仮定して、その動力源っていったい何なのか?と冷静に考えるとどうだろうか?
幽霊といえば「怨念」とか「恨み」とか「未練」である。
だいたいがそういったマイナスなエネルギーを持っているとされていて、人を脅かしたり死へ誘ったり、困らせたりする。全く迷惑な存在でしかない。(そうでもないという話も聞くけど)

しかし僕らはそういった強い気持ちを持っていたら生きられるかというとそうでもないのである。
怨念や恨みや未練を持つという事だけでも“疲れてしまう”。

そう、疲れてしまうのである。


疲れてしまうのであるなら、何らかのストレスを感じているのであって、それにエネルギーを使っている。
たとえばその強い感情で心拍数が上昇したり、歯軋りしたり拳を握りしめるってことがあるとするじゃない。それも言うなればエネルギーを消費しているという事になるのだ。

そのマイナスエネルギーは、昨日食べたラーメンかもしれないしバナナかもしれないのである。


最近はYouTubeで、こども用のおもちゃを使って死者や幽霊と会話するというやつもある。
ふた昔前の幽霊が見えるとか、死者の存在を感じたり怨念や恨みを感じ取ったり過去を探ったりする以上のことを行っている。

いや、これってほんとだったら、ほんとうにすごい事だと思うよ。ほんとうだったらの話だけど。

動画の内容は、単に一方的な言葉のやりとりをしたり、一生懸命除霊に励んだりするものではなくて、現れた“霊との会話”を目的としている。
「なぜ亡くなったのか、どうしてここに現れるのか、お供えものは何が好きなのか?」などといった会話である。

ちょっと待て。
霊と会話できるかどうかという事にはまず触れないとして、こちらの言っている事に「反応できる」という事ならば、それなりの知識だったり記憶、そして考えるチカラが必要だ。そこには触れないのか?

そして、「お供えもの」というのはこちら側(生きている人)の考え方であるし、宗教の話だ。
除霊する方法として仏教的な方法を取ったり盛り塩をしたりしてはいるが、そういうのも生きている人の“勝手な知識と都合”である。

霊として出てきている人の行っていた宗教は何だったのか?と、その点については探らないのだろうか?
たとえ除霊が効くとしてだ、生前にキリスト教を信仰していた人が、仏教の念仏によって除霊できるかというとそうでもないんじゃないか?と思うのである。


そして、じゃあキリスト教を信じていた人は天国へ行くから幽霊として出てこないとか、念仏が有効的だという可能性があるのであれば、その両方の教えは「正しい」という事になる。そうなるとまた話は違ってくる。

キリスト教の教えは三位一体の考えを除くなら、「唯一絶対の神」がいて、世の中を見守っている。(もちろん悪魔の存在もある)
それに反して仏教は輪廻などの考え方がある。キリスト系には輪廻などの考え方は無い。
(大学とかで宗教学とか学んだわけじゃないから詳しくは知らない)


そう、「矛盾するところ」が生じてくるのだ。

その辺がよくわからないし、話を元に戻すが幽霊の動力源なんかもよくわからない。
そういうところは追求しないのかなぁなんて思ったりするのである。
話がめんどくさい方向に行き出したので話すのをやめよう。

よくわからなくて好きって事もあるんだけどね。

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