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呪縛解放⑥ 前:宗教という鎖



世界の終わりに救世主が現れ全ての罪を裁き、信徒を天国へ導いてくれる。



異教徒達を討ち滅ぼし自分達の千年帝国を築いてくれる。


何度も生まれ変わって人生をやり直し、その内容に応じて次の人生でどの生物、どのような人生になるかが決まる。


行政指導と天下りにより政治が会社の運営に介入する。
国民は安定を求め独立心も競争心もない。
完全な社会主義国であるのにも関わらず、学校で「この国は資本主義だ」と教えられたから資本主義であるとされる。
実体と合っていなくても権威ある者がそう言えば「そういうもの」だとされる。



ただの紙切れが黄金の代わりになり、代わりであったことさえ忘れ去られても世界を回し続ける。


小中高を卒業し、就職もしくは進学、30代前後で婚姻し、子どもを育て上げ、60代まで働き、余生を好きに過ごすことが人生の成功であり、それができなければ失敗…。


この世界には沢山の宗教がありますね。

2019年ごろの調査になりますが、宗教に危険性を感じるか(宗教は平和よりも争いをもたらすことの方が多いか)の意識調査では1998年では52%(1466人中)がそう思う(「どちらかと言えばそう思う」を含む)と答えました。

その後の2回の調査ではその率は下がっており、1998年が特殊であったと考えられます。

これには1995年の地下鉄サリン事件の影響が考えられています。

明治維新より日本の宗教離れは次第に始まりましたが、この事件は決定打を与えたと言えるでしょう。

最近の若者という言葉が適切かは分かりませんが、彼ら彼女らの中には宗教と聞いて真っ先にオウム真理教が頭に浮かび、即「危険」、「気持ち悪い」、と言った単純化、自動化が起こる方もいます。

しかし、それは適切ではないでしょう。

世界人口の31%がキリスト教、23%がイスラム教であり、この2つの宗教だけでも人口の半分を占めることになります。世界人口の半数以上が「危険」、「気持ち悪い」、などあり得ないでしょう?

また、日本にいくつの宗教法人があるかご存じですか?令和3年時点では179952法人でした。もちろん税金対策に作られた法人が多くあるという前提はありますが、あなたはいくつの宗教法人を知っていましたか?大半の方は問題のある宗教しか印象に残らないのではないでしょうか?

さらに言えば日本の歴史の大部分において宗教と現実の間にほとんど区別はありませんでした。つい最近まで狸にばかされたり、狐につままれたり、近所で悟りを開いた人がいたりしていたのです。これは「自我」が未発達であったために「あるがままの空間」を捉える認識の形であったからです。

数千年単位でそうだったのです。
むしろ異常だったのはこの数十年だったのかもしれません。

冷静に考えれば件の事件があったから全ての宗教の印象が悪くなる、というのは合理性がまったくないのですが、我々民衆というものは権威が騒げばそういう印象になってしまうのです。それこそが所謂宗教そのものだと思うのですが、あなたはどう思いますか?


オウム真理教の起こした事件は痛ましいものでした。
あのような事件は二度と起きてほしくないですね。
二度と起きないようにするにはどうすれば良いでしょうか?
それには、彼らが何故あのような事件を起こしたかを知り、そこに至るまでの背景、動機、それが正しいか間違っているのかの検証が必要でしょう。

あなたは彼らが何故あのような事件を起こしたかご存じでしょうか?

彼らは選挙に出馬しました。
彼らの信者の票数を持ってすれば当選は確実と考えたためです。
結果はご存じの通り惨敗でした。
彼らはそこで「票数が操作されている」、と考えたのです。

つまり、この国は民主主義であると装っているだけで、実際は権力がそういった操作を行う国であると考えたのです。
そして、この国を変えるにはもう暴力しかない、という結論に至ってしまったのです。

彼らの主張は正しいと思いますか?
それとも正しくない?

何故?

科学は検証をしなくては「有る」とも「無い」とも言えませんよ?

主張者が犯罪者だから、頭がおかしいから、その主張が間違っている、というのは非科学的です。

そして、検証しようにも国民の半数近くが選挙に行かないこの国で本当に民意が正しく反映されているかの調査などできるのでしょうか?



日本の宗教観にとどめを刺したのは件の事件であり、その件の事件の動機には国政への疑惑があり、その疑惑は検証不可、ということになります。

なら、宗教の鎖を解く方法は件の事件の疑惑の検証を可能にすることでしょう?

つまり、選挙に行くこと。

宗教だからあのような事件を起こした、というような単純化はせず、一つ一つの物事から目を逸らさず、きちんと見るのです

そして、宗教と件の事件が直接イコールで繋げられないかもしれない、と理解が至れば改めて宗教に対する価値観を作り直す必要性を感じられるはずです。

上記で述べたように日本の歴史の大部分は現実と宗教の間に明確な境がありませんでした。

宗教に対する価値観が作り直されれば、貴方の中に新たな歴史の種が芽吹くでしょう。


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