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高瀬隼子『いい子のあくび』を読んだ

noteで見つけた素敵な文章を書く方が紹介していた『いい子のあくび』。
あらすじを見ると「これ私じゃん」と既に共感の嵐だった。「いい子」は私だ。その記事は出先で読んでいたから、帰り道に書店に寄り、注文して取り寄せてもらった。

これが昨日の話。そして今日、もう届いたと連絡があり、急いで受け取りにいった。はやる気持ちを抑えて、丁寧に読み、ついさっき読み終えた。

私は小中学生のときは割と読書量の多い子どもだった(小学生の頃、思い上がった私は村上春樹の『ノルウェイの森』に手を出してしばらく村上春樹がトラウマになった)けれど、高校生以降は勉強の忙しさやスマホにかまけてしまったせいでその量が激減した。だからなのか、たまに読む文芸書は怒涛のスピードで読んでしまう。ほとんど一日のうちに読み終える。普段読むのが研究のための小難しい学術書だから、というのもあると思う。そうやってすごいスピードで小説を読み終えた後、毎回私はすごい勢いで水を吸収する乾いたスポンジみたい、とぼんやり考えながら、読み終えたばかりの内容を思い返す。

私も、歩きスマホをしている人にわざと避けずに歩いていったことがある。つい最近のことだ。大学の帰り、人間1.5人分ほどしかない道を歩いていたら向かいから歩きスマホの学生が来て、私は敢えてぶつかるぎりぎりまで真っすぐ歩いた。ぶつかる直前でその人は私に気付いて、私を避けるように進んだ。でも私はたぶん、その人が最後まで気づかずにぶつかりそうになったら、ぎりぎりで避けてしまうのだと思う。面倒なことは嫌だし、その方が「善い」と思っている。

直子のように、人より先に気付いてしまう人は一定数いて、私もその一人だ。バイト先では私しか気づいていないのか、私がいちばん最初に気づくのかは分からないけれど、毎回これ私がやっているな、という仕事がある。でもそう思うたびに、もしかしたら別の仕事を同じ思いをしてやっている人がいるのかもしれない、と考える。多分、そういうことで、世の中は回っている気がする。

私だって、なんで毎回やらなくちゃいけないの、とか、なんでこれで他の人と同じ給料なの、とか、じゃあやらなければいいじゃん、とかぐるぐるぐるぐる考える。引用するなら「割に合わない」だ。大地のように本当のいい人なら、こんなことも考えないのかな。

大地と言えば、直子が大地のスマホを盗み見て、そのことに大地が気づくまでのシーンで私はなぜか泣いてしまった。

その辺に捨てられていた魚を埋めてあげよう、という発想をもつほど善良、直子に心の中で軽く見下されるほど善良な人間である大地に、浮気をするという小賢しい面があったことにひとつの安堵を覚えたのか、直子に自分を重ねていたため、その恋人である大地に自分の彼氏を重ねて彼の浮気を想像してしまったからなのか、よく分からない。後者が強いと思う。

大地は善良な人間だから、その浮気相手に対しても、直子に対しても、誠実であろうとしていたのが分かる。だからこそ、余計につらい。浮気をするなら、私か浮気相手かどちらかを軽んじていてほしい、と考えてしまう。両方を大事にするなんて、ずるい。どちらかを軽んじるよりひどいと思う。

ちょっと感想とはずれてしまった。この本は、自分と距離が近すぎて、この本に対する感想と自分の普段思っていることが溶けあって、分けられなくなってしまう。

本当は、こんなに感情移入してしまう本は時間をおいて気持ちを整理してから感想を書いたほうが良いのだろう。でも、どうしても今書かなきゃいけないと思った。このぐちゃぐちゃの感想のまま、人様に見てもらう文章ではないかもしれないけど、外に出しておかないといけない気がした。そうでもしないと、私はこの本に吸い込まれて帰ってこられなくなる。ありもしない彼氏の浮気に泣いてる女になってしまう。

それくらい、この本は私にとっては強い引力をもつもので、出合えて良かった一冊だ。たまに、この本は何十年後かに読み返したら見方が変わりそうだな、という本があるけれど、『いい子のあくび』は違う。この本は私の一生変わらないであろう根っこの根っこに触れている。読むたびに私の心の奥底に触れて普段隠しているものをつまびらかにする。読むのに消耗はするけれど、自分で見つめないといけない部分でもあるから、私にこの本は必要なのだ。

こんなに長く本の感想(?)を書いたのは久しぶり。全然うまく書けなかった。練習が必要ね。



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