ソーシャルワーカーとしてのターニングポイント【ソーシャルワーク】
10年前、私は地域包括支援センターで社会福祉士として働いていました。
「在宅で生活されている方々の相談支援に携わりたい」
「ソーシャルワーカーとして、もっと自分に力をつけたい」
「たくさんの経験を積みたい」
そう思い、26歳の時に入職しました。
それまでは施設系サービスで働いていたため、とまどいもありましたが、
充実した日々を過ごしていました。
そんなある日。
一生忘れることはないであろうクライエントAさんと出会うこととなりました。
状況を受け入れられないAさん
もともと妻との2人暮らしでしたが、Aさんが妻に手を出してしまったことが原因で、妻は骨折。
入院先で妻は「あの人のところには帰りません」とはっきり話し、離れて暮らすことを希望されたこと。事実関係から虐待ありと判断されたことで、離れて暮らすこととなり、妻がいない一人での生活を送ることとなりました。
当初は入院している原因が骨折であることや、妻が今後は別々に暮らしたいと話していることに対して、特に何も話されませんでしたが、時間の経過とともに、
「あいつはどうせさぼりたいだけ。寝てたいから入院してるんや。いつ帰ってくるんや。」
と話されるようになりました。
そのため、区役所担当者と私で何度もAさんにこれまでの経過を踏まえ、
説明をしますが、Aさんはなかなか受け入れることが出来ません。
丸一日Aさんデー
それからAさんの妻探しが始まりました。
Aさんは自転車に乗れます。
朝から自転車に乗り、様々なところへ出かけ、
「妻がいない!!どうしたらええやろ・・・。」と訴えかけます。
友人・知人・街の電気屋・議員事務所・病院・飲食店・・・・。
ありとあわゆるところへ探しに行っていたようで、Aさんが行かれた先からどんどん包括へ連絡が入り、「妻がいないと言ってる」との相談が寄せられます。しかもきちっと衣笠ご指名で・・・。
そうです。Aさんはしっかり行った先で衣笠に相談に乗ってもらっていると話し、名刺を見せていたのです・・・。
そのおかげで9時仕事開始から18時仕事終了までAさんがらみの対応に追われ、記録が書けるのは18時以降。毎日のように残業する日々。
「もう勘弁してくれ。なんでこんなに対応しなきゃいけないんや。わざわざ俺の名前まで言って。嫌がらせか!!」
と思ったりもしましたが・・・。
それよりも何よりも自分自身の力量がないから、支援が後手後手に回ってるんじゃないかと自分自身を責めるようになっていきました。
こんな”振り回されている”ソーシャルワーカーはダメだと自分に対して否定的な考えしか浮かばない。そんな状況でした。
環境の変化
そんな中、Aさんの生活はさらに激変していきます。
・協力してくれていた親族と疎遠になる
・生きがいである仕事が妻の不在により、うまく回らなくなり、閉店
・自宅売却し、賃貸物件へ入居するも、近隣住民とのトラブルですぐ退去
ざっくり書いてもこれくらいたくさんの変化が3カ月ほどの間にAさんに起こりました。
Aさんは「なんで俺だけこんな目に遭わないといけないんや」と怒っていましたが、その中で少しずつ状況を受け入れていきました。というか受け入れざるを得なかった。少しずつ自分のペースで受け入れ、自身で意思決定していきました。
一人暮らしの限界
生活する中での様々な変化に対して、感情を前面に出し、反応していたAさんでしたが、徐々に精神状態が悪化し、部屋に閉じこもり、寝ていることが多くなりました。
ひどい時は、窓ガラスを割る・インターホンやドアポストを壊すなどの行為もみられました。
一人暮らしは難しくなってきたなと思っていたそんなある日、精神薬を飲み、ふらふらした状態で自転車に乗っていたところ、Aさんは事故に遭い、入院。検査しようとしたところ、暴れたことからそのまま精神科へ入院することとなりました。
その後は、入院加療を行い、精神状態が安定しました。
しかし、再度一人暮らしは困難との判断になり、入所先の施設に見学に行くこととなりました。
「これ、俺の息子ですねん」
一時外泊してきたAさんと合流し、施設見学。
最後に面談をすることとなり、面談室に入った際に施設長さんへ一言。
「これ(衣笠)、俺の息子ですねん」
顔をくしゃっとさせた満面の笑顔を浮かべながらの一言でした。
それを隣で聞いていた私は驚きを隠せないとともに、
「あー、そんな風に自分のことを見ててくれたんだ。いっぱい厳しいことも伝えてきたけど、そんな冗談を言えるくらいの関係を作ることが出来たのかなぁ。関わり続けてよかった。」と感じ、泣いてしまいそうになりましたが、なんとかぐっとこらえ、「何言うてるんですかー」とAさんにツッコミを入れました。
忘れられない経験に
Aさんの支援はそんなに長くなくて、半年くらいでしたが、
たくさんしんどいこと、つらいこと、悲しいこと、凹んだこと。
そんなことが山ほどあったし、たくさんの方々とどうやってAさんを支援していくかについてたくさん検討したケースであったので、今でもよく覚えています。
本当に大変なおじいさんでした。笑
でも、忘れられない。
あの目がなくなるくらいクチャっと笑ったあの顔を忘れられない。
Aさんと向き合い続けてよかった。
これがソーシャルワーカーなんだ。
これがソーシャルワークなんだ。
これがソーシャルワークの醍醐味なんだ。
そう私は感じました。
間違いなくこの経験がなかったら、今の自分はいない。
本当にありがとう、Aさん。
絶対忘れないよ。俺、めっちゃ少しずつかもしれんけど、頑張ってるからね
あの時よりかは成長したと思うよ。たぶん。
本当に出会ってくれてありがとう。
たまに思い出してるからね。立ち返るために思い出させてね。
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