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「自分自身を受け入れる・相手を理解する」

「小学校高学年くらいから、友人関係がうまくいかなくなり、担任の先生に受診を勧められた。様々な検査を行ったが、特に異常はなく、何なら記憶能力については高い子どもとの診断であった。」
「でも、自分の想いをうまく言葉にできない。わからないことがあったら、それぐらい人に聞けばいいのにと思うことも聞けず、自分の解釈で行動し、それが原因で友人とトラブルを起こす。些細なことだから、すぐ確認できることなんですけどね・・・。」

被保佐人の幼少期の様子について質問したところ、被保佐人の母は穏やかに話されました。

話される言葉一つひとつから、”母親として出来ることは何か”と考え、やれることは様々やってきた様子であり、それが正確に、そして詳細に被保佐人の状況を記憶し、その時々の状況について話される様子から伝わりました。

しかし・・。
「私も高齢になってきた。あの子はまだ若い。何か楽しいこと、生きがいになるようなことを見つけ、生きていってほしいんですけどね・・。」
その穏やかな言葉の中に、何とも言えない悲しさを感じました。


被保佐人自身、コミュニケーションに悩み、苦しい想いをしてきたんだと思う。うまく人とコミュニケーションが取れず、関係構築ができない。
相手の気持ちを想像して行動することが苦手で、その結果被保佐人の周りから人が離れていったのかもしれない。

”見えにくい”特性だからこそ、理解されにくく、苦しかったんだろう。
そして、そんな子を親として理解しきれないと感じる母親自身も苦しかったんだと思う。


「関わっていくの大変だと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。」
そう私に話す母親の言葉を受け、保佐人として何ができるのか。

これはずっとだけど、様々な方を担当する中で、
自身の”無力さ”を感じる。もっと支援力あればなーなんて思う。
でも、その反面、”無力さを自覚できている”ことは大切なことだと思っている。

奢らず、目の前にいる方の意思決定支援を考える。
何を考え、想い、そしてどんな生活を送っていきたいのか。
それを考え、そしてその中で自分に足りないものはその都度補う。

それでいい。それでいいよね。

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