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わからない、出来ないの根源は小学2年生にある!?

こんな題名を見ると、この人は明らかに『ドラゴン桜』に影響されているなと思われるかも知れない。

そうなんです。きんとさんは今まさにドラゴン桜にハマっているw

その証拠に

こんなことをやっているぐらいだから、バカだよねwww

でも僕にはとても大事なことだったりする。もしかすると昔の勉強と今の仕事が直結している部分があるのではないかとも考えた。

確かによく考えてみると九九は考えても考えなくても見ただけで答えが出てくる。

例えば
6×9=? 8×5=? 7×9=?

どうだろう?見ただけですんなり誰でも
54 40 63
と出てこなかっただろうか??

では
8+5=? 25+39=? 68+19=?
9−3=?  36-19=?    78-29=?

二桁の計算が出てきてビックリしたかも知れない。
もしかすると引き算で「うっっ・・・」と思った方もいるかも知れない。
僕も引き算が出てくると苦手意識が出てきて同じ思いになるし、意外とグズついたりする。

人より計算が遅いとか、答えが出てこないというのは気付かないところでどんどん差が生じるが、授業だけはどんどん進んでいく。そうするとなぜそうなるのかの情報処理が上手くいかなくなるので、「わからない」となる原因になるのかなと思った。

勉強ってわかったり、出来ると楽しいけど、わからないと途端につまらなくなる。

あれ?これって仕事も一緒だなと思った。
わからなかったり、出来なかったりすると楽しくないし、その後は投げ出したり、集中力が続かなくなったりする。

僕は(勝手に)勉強を楽しむことやできるという気持ちを小学2年生で置いてきているのではないかと思った。もしかするとそれは違うのかも知れない。でも、わかるや出来るはその頃に育まれることなのかなとも感じた。

だったらものは試し!小学校の計算から始めてみようと考えた。
わからない、出来ない、すぐ諦めるの根源は小学2年生にあるのかも知れないという僕の仮説検証である。

たった2日で起こった実感と変化

結論からいうとこれが凄い。
何が凄いのかというと、10分で100問の足し算引き算が僕は全て解けなかった。
最初は「うわっ!!」と思った。

けどこれが今の僕の現実。受け入れるしかなかった。圧倒的に計算が遅い僕がそこにいたのは紛れもなく、100問が表している。

これは何となくやばいと感じたのと当時に、本当に出来ないんだと思った自分もいた。ちょっと悔しかったんだよね。

『36歳、足し算引き算100問10分で全部解けない男』

採点して100点満点じゃなかったのは良いとしても、10分で100問書けなかった自分に悔しかった。

でも明らかに変化が出たのはその日の2回目にやった時だった。
明らかに変化していることに気がついた。
解くスピードが速くなっていた。

答えを覚えていれば同じ問題なんだからできるでしょ?

と思う方もいるだろう。

僕の性格上、答えを覚えてどうのこうのという器用なことはできない方なので一個一個計算してしまう、クソ真面目タイプなので正直に数字把握してそのまま計算してしまう程www

2日目には10分で100問まで解けてしまった。
成長実感と達成感がめちゃくちゃ感じた。
「本当に早くなるんだ!!」と

その実感がとても気持ちよかったし、より早くできるようになりたいという思いが自然に出てきたと思う。

こういう事実って結構衝撃な事実で受け入れづらい人もいると思うし、わかったからといってすぐに受け入れようとはしなくても良いと思うけど、今の僕には受け入れる準備が出来ていたからこそ、認めた上でのやりたい好奇心とやる気が出て来たのではないかな。

「わかる・できる」を取り戻したいと思った自分

計算をやって気付いたのは、これが出来なくて「わかる・できる」が失われて出来ないというレッテルを貼られたとしたら、別に今から全て勉強し直す訳ではないけど、計算の中での苦手を克服して自分の中の「わかる・できる」という気持ちやその気持ちを持った楽しさをまた味わいたいと思った。

こんな簡単なことで自信がつくのかどうかはわからないけど、小学2年生で置いてきたそんな自分を大人になった自分で引き上げたくなった。

実際どんな効果が出るかなんてわからない。けど、どんどん時間が短いながらも問題数を解ける量が増えていく自分に成長を感じる部分がある。

馬鹿だなと思うのは「どうやったらもっと早く引き算ができるようになるか」をインターネットで調べて考え方を探して自分で理解しようとしていた。
計算にはまってしまった自分がいた事だwww

小学2年生の時はどうしていたんだろう?
わからないとなった時にどうしていたんだろう?
ちゃんとこんな風に調べてみたり、誰かに聞いたりしたのだろうか?

当時のことは覚えていないが、きっとここまで追求しなかったのだろう。
たぶん、子供の頃の僕はそのまま楽しいことを求めてわからないままにしていたのかもしれない。

もっというと勉強に興味がなかったのかもしれない。

実際に計算が出来る実感というのは本当に嬉しくて、大人になってもこんなに嬉しいものかと思うくらい嬉しい。そして「わかる・できる」ってこんなに面白いことだったっけって思わされてしまった。

とっても単純な考えかもしれないけど、「わかる・できる」を取り戻すには十分な気がした。

今だから受け入れられた「わからない・出来ない」自分とそこからの脱皮

数年前の自分がもし計算の苦手さについて気付いたとしても、受け入れずに逃げていたと思う。むしろ、「そんなはずはない」と自分の考えを否定していただろう。事実が目の前にあるのにだ。

きっと今受け入れられたのは、自分を見つめたり、自問自答していたからこそ受け入れられたのかもしれない。

不思議と計算の遅い自分に気付いたとき、恥ずかしいという思いよりも「マジか!こんなに遅いのか!」という衝撃が先だった。そして、絶対早くなってやるという何か内なる炎を見た気がする。それだけその事実が自分にとって悔しかった。

でもその事実は今の自分の事実であって、受け入れてあげるしかなかったし、そんな自分も許してあげようと、またそんな自分を引き上げてあげようとも思ったから今でも計算100問は続けている。

「わからない・できない」自分から早く脱皮したいんだと思う。

現在は5分で100問に挑戦中だが、これがなかなか出来なくて出来なくてw

ただ、日に日に1問2問と計算が早くなっている自分を知ると100問解けない悔しさと同時に出来るようになってきているという成長実感を日々感じれることが嬉しい。

目標はドラゴン桜の中でもやっていた3分100問満点!!

まだまだ遠い感じはするがこれが出来るようになった「きんと」はどんな自分になっているのか。
今からワクワクしながら、自分の「わかる・できる」を求めて挑戦中である。

あなたが置いてきた「わかる・できる」の楽しさはどこに置いてきましたか?

あなたもあなた自信が置いてきた「わかる・できる」を取り戻す挑戦をしてみませんか?

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