どうしようもない歯抜け達

 客先の工場長から「まだ求人出してるんなら一人面接してほしい奴が居るんだけど」というどう考えてもまともな結末にならないであろう、という声が上司にかかった。
 自社で面倒を見ないという事が全てを物語っている気もするが、その男性は件の工場長と高校時代の同級生であるそうなので自分の下に同級生が居るというのはなんだか気まずい気もする。しかし仕入先にそれを押し付けるのは如何なものかと思う。実質拒否権なんて無いようなものだ。
 また、この工場長からは息子までも(それもなかなかにぶっ飛んだ)押し付けられているので前科一犯である。
 その彼は同業のとある会社の課長を勤めていたが見切り発車で退職、現在転職先を探しているという。思い切りのいい性格の持ち主のようだ。
 
 結局、あってないような面接があり入社してきた男がハマちゃんだ。
 
 ハマちゃんはものすごく前向きな表現をするならば黄色くて赤のシャツをきたクマさんの様な、悪い表現をするならば邪悪なカバというか、まぁそんな容姿である。簡単に言うと手足が短くて頭が大きい。なんだか未来の人類の予想図の様だ。形状的には頭は良さそうだ。中身が詰まっていれば。

 製造業という特性上、比較的汚れづらいものか汚れが目立たないインナーを着るものだが、木を隠すなら森の中ということだろうか。薄汚れて首元がほつれ始めているゴシック調の英字が書かれたTシャツを着ていた。
 古着好きが好きそうなヤレ感ではあるが今どきそう見ないデザインである。そろそろこのデザインもヴィンテージとして値上がりする時代が来るのかもしれない。
 45歳という年齢の割に老けても見える彼だがそれを加速させ、着ているTシャツのパンチを緩和していたのは何よりも前歯だ。

 上顎中切歯、すなわち上の前歯の片方無いのだ。
 
 なんならもう片方の前歯も黒ずみ、溶けるように消えかけている。以前にも二人ほど前歯の無い男が入社してきたが二人共社会性のかけらもなく事件だけ起こして3日以内に来なくなった。
 前歯とは社会性の灯火でもあるのだろうか。
 
 不安が募る中、早々に私の持ち場にやってきた。初日、社内を簡単に案内した後に掃き掃除を任せつつ、空いた時間に作業の説明をして一日目を終えようとしていた。
 終業時刻が近づき、あとは戸締まりを済ませ終礼に出席するだけだと話していると「タバコ一本、吸っていいですか?」といいながら胸ポケットからセブンスターを取り出した。それを見てふと、前歯の欠けにタバコをはめたら咥えタバコしやすいのだろうか、と思った。
 流石に就業時間内で休憩でもなく、挙句の果てに今から戸締まりして終礼だと言っているのに何を言っているんだ。なにより喫煙所でもない。それも元管理職でこの発言だ。ロックである。
 しかしここできつい言葉を投げかけて彼のプライドを傷つけてはいけない。言葉を選ばなくては。
「だめです」
 結局シンプルが一番だという考えに至り、それだけ伝え戸締まりを始めるが彼はピクミンの如く私の後をついて回るだけだ。窓の締め方も教えないとわからないのかもしれない。元管理職だからきっとすべて部下がやってくれていたのだろう。
 
 自分の持ち場の周辺の戸締まりを済ませて日報を書こうとデスクへと向かうと突然彼はデスクチェアに深く腰掛け「座っちゃった―!」と言い始める。仕方ないので私は「立ってください」と返しながら仕方なく立ったまま日報を書き上げる。
 そうして一日目が終わった。
 
 日本刀などの武器が研ぎ澄まされ美しさを帯びる様に、エロスが一定のレベルを越えると芸術になりうる様に、彼の鬱陶しさもこのレベルまでくると怒りが湧かずにもはや笑いそうになる。これがお笑いという文化の行き着く先かもしれない。芸術だ。
 
 二日目には簡単な作業に当たってもらうことにした。材料の投入や製品を順番に並べるという軽作業である。頭も使う必要もない。
 彼は新陳代謝が凄まじく良いようで、滝のような汗をかいていた。なんだが小学校の頃の雑巾がけを思い出す。絞るときこんな水が出てきていた。なんだか懐かしい。
 変な汁を撒き散らしながら「いやぁ、あてぅいっひゅねぇ(おそらく「いやぁ、暑いっすねぇ」だと思われる)」と笑顔を見せる。彼を筆頭に前歯を失った人々は特徴的な喋り方をする。きっと歯がない分、口内のエアーが抜けてキレイに発音できないのだろう。あるいは歯抜け人間には歯抜け的な発音法が無意識下にインプットされるのかもしれない。シンクロニシティ。

 彼に教えた作業の中で絶望的だったのは製品を順番に並べるという行為が何故か出来なかったことだ。何度説明しても出来なかった。というよりも順番に並べるだけの作業をそれ以上説明することが出来ない。
 頭のいい人間はどんな人にでもちゃんと説明することが出来ると聞いたことがある。私の説明能力の低さが悔しい。「順番に並べる」という行為をそれ以上噛み砕くことが出来ない。眼の前でやって見せることしか出来ない。
 そこまでやってその作業が出来ない45歳元管理職にどう教えれば良いのか。その答えは未だに見つからない。
 
 そして彼は腕時計をつけない今どきの人間の様で、時間の確認にはいつもスマートフォンを用いていた。その際、ホーム画面に若い女性の写真が使われているのが見えた。
 やはり社会人たるもの、コミュニケーションで円滑に仕事をまわさなくてはならない。ここはちょっとした世間話で距離を詰めなければ、と思い私は彼に聞いた。
「待受、彼女さんとか奥さんとかですか?おきれいな方ですね」
 すると彼ははにかむような奇妙な笑みを浮かべて「女はおらん!」と笑った。なんだか我々の距離が一歩近づいた気がする。
 彼はそれから自分の事を色々と語ってくれた。副業で釣り船を出しているということ、共通の趣味が釣りであることもあり話はそれなりにはずんだ(と思う)。映画が好きという共通点も見つかった。最近見た映画で面白かった作品を聞いたら「バイオハザード:ウェルカム トゥ ラクーンシティ」だと嬉しそうに語っていた。その作品は私も一度観たが観るのが苦痛になる様な作品であった。ゲームファンであるから作品に入り込めなかったが彼はそういう先入観なく楽しめるタイプなのだろう。凄い。
 他にも、前職では現場と客先との板挟みで辛かったこと、収入は少なくとも心に余裕のある暮らしがしたいということなど、彼は赤裸々に語ってくれた。それを聞いて世間と自分のスペックとの間での板挟みでは、という感想を抱いたがそれは飲み込んだ。
 
 翌日、入社して三日目。彼は体調不良で仕事を休んだ。今までとは仕事内容も生活リズムも変わるタイミングだ。確かに体調を崩すこともあるかもしれない。
 
 四日目は無断欠勤であった。その翌日、彼から上司にラインで退職の意志が伝えられた。
 理由は「慣れない初めての作業が出来ないことに文句を言われた」というものであった。私の伝え方が悪かったようだ。
 
【文句】
 不平・不満・不賛成などの言い分
新明解国語辞典 第七版より抜粋
 
 彼のその主張こそが「文句」では無いだろうか、という気持ちがあったがそれを伝える先はもう居ない。
 伝えたい言葉があるときにはその相手は居ない。とても切ない。行き場のない感情は私の心に降り積もり、気付くと積み重なり山となっていく。K2の如く積もり積もった山の標高は高い。だからきっと私の怒りの沸点は低いのだろう。もはや常温である。
 
 そういう訳で私は今日も「てめぇら法さえなければぶっ殺してやるからな」というお気持ちで生きている。
 生きるということは何かと戦い続けるということなのかもしれない。 

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