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SFアンソロジー WORK『鯨の仔』

前回(小説サークル・グローバルエリート)の続き。
興味を持たれたなら、記事をさかのぼってもらえると助かる。noteは初心者なので記事は少ない。

人生初、海外からの同人誌購入。電子書籍としてKindleで同人小説を読むことになった。デバイスを何にするか悩んだけど、読みごとは腰を据えなきゃできない性質なのでPCに。スマホは小さすぎた。
企画テーマには文学フリマとあるが、私は開催日当日足を運べないのが常なので、Kindleでの同人誌購入となっている。しかしながら、本作は紛れもなく文学フリマでしか書籍は入手できないので、企画への投稿を多めにみてもらえるとありがたい。
加えて、海外からでも同人誌を読みたい人間がいることを認識してもらえるとさらに……すこし、嬉しい。

書籍内容、集録作家などは以下のとおり。
各作家のSNSは各種サービスで検索すると良いと思う。

SFアンソロジー WORK『鯨の仔』 
刊行年月日,pages:2022/05/29,(東京文学フリにて頒布)182p
サイズ:文庫判(A6)
サークル名:グローバルエリート 
執筆作家(敬称略)「作品名」: 東京ニトロ「GOOD  TIME」,元壱路「マンガで分かる「植物のふしぎ」」,髙座創「ユニテイル・トーナメント五周年記念特集」,架旗透「恋は流れ星のように」,維嶋津「鯨の仔」(表題作) 
合同誌WORK7作目 1200円 
 
グローバルエリートの書籍、前回も触れたけどそこそこの冊数を持ってない。その中で本作を選んだ理由に、表題作のタイトルに記される大型海棲生物の単語があったから。鯨。ただそれだけで惹かれた。
久しぶりに手にするこのサークルの本、ならば私にはこれ一択だろうって。私のクジラ好きなんかただの偶然だろうけど。今でこそ減ったがSNSでクジラ記事や動画ばかり集めていた時期もある。だから表題作への期待も込めて。末文ではあるが表紙デザインへも追記した。

以下読んで感じて想ったこと。
各作家への敬称を略すこと予めご免申しあげる。
誤字脱字も許してぇ……。



序文

ウィズコロナ。

日本社会で刻まれた言葉。
アメリカでは2022年当時かなり終息していく流れにあった。コロナ社会の様相はこの頃になると、日米でかなり差があったのをおぼえている。
病院以外でマスクした記憶がない。

本書『鯨の仔』が刊行された頃、私は国際線着で羽田空港にいた。
空港内を散々歩いた末の唾液検査。検査ブースの陳腐な梅干し画像。国内追跡アプリのダウンロード。入国後3日間のホテル監禁待遇。県をまたぐ度の唾液検査。いろいろ不便だった。思い出した、この序文で……。
やってくれる。

執筆作品でエリートらは人の脳を刺激し感性に作用する。執筆こそが彼らの武器。だからエリートの世界は小説の世界、文フリにある。
 
盛況な光景、書籍を手に取る人々の充実感。それらはSNSからキラキラと眩しく目に入り、私のいた環境と遠い隔たりを突き付けた。監禁待遇中は文フリ現場へ行けるはずもない。
ちょっと……忌々しかったあのときは。

けれど、そんなアウェイ感は時間とともに消えた。今こうして遅れながら本作をKindleで読んでるのも、読者愛とはなんぞかを知ってるからだ。
 
世の中の事情や海外住みということもあり、私は5年ほどグローバルエリートの作品から離れていた。
たかが一介の読者である私が作品離れしても彼らは良作を産むだろうし、成長するのもわかってた。エリートを知る人ならそう思うだろう。
事実そのようだったらしい。
買いかぶりすぎ? どう? 
単に作家の作品と暫く距離をおいて、また読んだときに覚える初心さが欲しかった。そして、それはたしかにあった。

馴染みのパッセージにまた会えた。
ふたたび思った。
 
ずっとここにいて。と。
約束ではないけれど。 

そうだ、はじめの頃も思ってた。
思い出はいつだって、きれいにそこにあった。
ありがとう、ここにいてくれて。

2024年、私は2022年のグローバルエリートに出会えた。


『GOOD TIME』 東京ニトロ


大学キャンパスでロボットと出会った大学生のおはなし。

この作品は、間違いなく身近にある今日の社会環境と合わせて考えられる世界感だ。そうだよな。

社会は確実にブラックからホワイトな体質になろうとしている。その歩みは上手いとは言えなさそうだけど。
良き社会作りに終わりの見えないぶつかり合いはそこかしこで起こってしまう。
SNSも現代社会の殴り合いのプラットフォームであるのはたしか。
向う側に誰かいる限り、良いも悪いもそこには人間の数だけ思考や発想が飛び交い、それがさも個人の全てであるかのように錯覚する。
強く図太く生き抜くなんて未熟であれば楽じゃないだろうな。

けれど仮に、もしSNSから生まれた知能なら、殴り合いも容易くいなす術を学んでいるのでは。そう望んでも良いはず。
だってSNSのポストをもとに情動はコーディングで成せない。心は形を帯びず、生成はできないんだから。知能と感情が交わることはない。
花の画像で香りは体感できない……みたいな。
果たしてSNSから発生した知能が人の生に添うものであるか。その答えを見ている気がした。

この話の結末は何度読んでも一つしかなかった。
最後まで一途な仕上がりだった。東京ニトロはすごい。

だって、でないと、この儚い世界で正しく生き残ってく権利はやっぱり人にしか与えられてないし、学びで造られた知能だからこそ、未来の可能性を瞬時に予見し”最善”の手段をもって動くことしかできなかったんだろうし……結果はどうあれ……、と思う。
知能となるための行動だったと。

選択の余地がないほどしぼんでいく人の未来と世界で、人に造られたエレクトリックなモノの美しさ、悲しさや儚さを見るには、完璧な結末だったと思う。

人口減少対策を模索した末路。
人は人が生きるために人を造らなかった。
そんな世界に、私の心は揺れた。


『マンガで分かる「植物のふしぎ」』 元壱路


老いた理科教師のおはなし。

人間だれしも素敵に老いるのが理想。
果たして私にはそれができてるだろうか。そう考えずにはいられない作品だった。いつしか自分も老害といわれる日に直面する。
できればそのときまでに良き友や理解者をなるべくつくっておきたい。

他人から好かれるって大切だけど、皆がそうなれるわけじゃない。
歳をとるほど頑なになって他の意見を受け入れることができなくなる。
怖いんだと思う。受け入れられないモノや価値観は、年とともにどんどん周りに湧いて、流行りにのって目まぐるしく去ったり残ったり。世に湧き出す新しさの感触を、自分で確かめるまでもなく、全てに置いていかれる感覚。
老いはそれを顕著に認識させるプロセスなんだと思う。

老いて孤独であれば誰だって、過去に優しくしてくれた、或いは慕ってくれた存在を数えたくもなって、見つからなくて初めて気づくんだ。
自分がズレていたんだと。

けれど結局どうしようもなくて、共存し合える仲間もないまま、孤独の防衛本能的から暴力や強い言葉で訴えてしまう。多分それは本心じゃなくても……。そんでまた孤独。負のループの完成。

こういう人間の受け皿ってどこかにないのかな。
一般的な考えでは与えたくないよな。厄介者の居場所なんか誰だって。
赤の他人ならなおさら。

だけど、そんなの世界を俯瞰する神の目はちゃんとあった。
だから元壱路はすごい。

人として愛されなかった愚かな老害に最後の居場所をあてがった。そしてそれはあくまで居場所。
結末、優しくない神の裁きを私は見ることになった。

決してぬくもりだけで迎えるわけじゃないラスト。
それってやっぱり業だったよな。
無常で侘しい情景に私の心は揺れた。


『ユニテイル・トーナメント五周年記念特集』 髙座創


架空のゲームメディア記事。

自画自賛するほど上手くないけど、私もゲームは好き。アメリカだと大人のゲーム人口はかなり多いし恥ずかしくもない。
子供の頃、誰かがプレイしてるのを横で見るほうが好きだった。
一つのゲームを自分でとことんやり込むようになったのは大人になってから。
けど、時間を忘れて没頭するほどでもないかな。だって流石に……、ええ歳超えてるから身が持たないし。時間的ゆとりもない。

オンラインゲームで楽しんでるものはあるけど、VRの経験はない。体感でどれくらい違うんだろう……、興味ある。

近年私が虜になってるゲームは、Xのフォロワーならすぐわかると思う。制作会社はむかし花札で創業を始めたあの会社。

購入価格以上に元とってそのゲームで遊んでる。ちょっと大人げないくらい。型にはまってクリアするだけがゲームの楽しみ方じゃないよって。
何周も見たオープニングとエンディング。ゲーム内のBug、Glitchも一通り体得(って言う?)し、しばりプレイは挑戦的で面白いから色々取り組んだ。
Speed Run(RTA)については揃えるものがあるのでやってないけど世界ランキング上位プレイヤーの動画はチェックしたり、雑に自分でタイムを計ってみたり……。内容本筋からズレて今でも遊んでる。
Youtubeのゲーム配信は好んで観てるときがあるとか。

もし私が自分のお気に入りのゲームについて考察を述べるなら――。本作は割とド直球でそう考えさせてくれた。それと実際に、作中のゲームが実在すればやってみたい気もする。ファンタジーは好きだから。

ゲーム未経験の人間に、その良し悪しを過不足なく伝えることはできるか。いろいろ試されるところではないだろうか。
プレイしたからこそ書けることがあり現在までのプレイヤーの変化やゲーム社会に思考を巡らせることもできる。だからと言って、私情が入りすぎても煩いだろう。程よい塩梅は誰でもできるわけじゃない。
良い記事の条件って、偏向せず掘り下げて考察されたものであって欲しいと私はねがってる。要素としてそうあればいい。

髙座創のすごいところはそこ。
目線が終始フラットであること。そして掲げる題材のディテールへの強い拘り。そこまで?ってぐらい。 
 
架空であると認めたくないほど巧妙に仕込まれた情報量の豊富さと伝達におけるキレの良さ、素材(主に特有な名詞)の扱い方。あたかも作家自身が見てきたか、経験してきたかのように綴られる本作からは、少なからず作家の悪戯な表情が窺える。
つくり込み過ぎじゃない?
 
ペテン師かな? せこい。
ふと思った。

たぶん、これをウィットって言うんだ。
ちがう? 
緻密なフィクションの構築に私の心は揺れた。


『恋は流れ星のように』 架旗透


宇宙運送ドライバーの男の労働生活奇譚。

2020年には既に日本の社会の問題としても運送業界で起こる将来のトラックドライバー高齢化による引退と荷物量の増加、若手ドライバー不足などがあった。
低賃金、長時間労働、資格取得までの金銭的負担は若者だけでなく女性ドライバーの業界進出も遅らせているとか何とかだっけ?
運転免許取得年齢は近年引き下げられたみたいだけど、だからって人材の争奪戦は終わりがなさそうで。

人にとって宇宙が当たり前になった時代でも、労働基準や人材育成の問題は残り続けている。それは人がどこかで働き続けるかぎり変わらず。
宇宙の運送業者で最後の番人と称され働く男の、労働者としての苦悩は、絶えることなく課題もあるらしく……。

自分の人生を考える余裕なんかないんだろうな、こんな業界じゃ。だって新人が残念君じゃ教育にも限界が見えそうだし……。お、失礼、申し訳ない。
業界で若手だった男も気付けば、いつの間にか新人を育成する側で。気づけばいつの間にかおひとり様。
働き続ける男の悲しい性なんだろうと。
なんて無慈悲なんだろう。男はつらいよ感。それでいてハチャメチャなコミカルさに目が離せかった本作。

当然の如くいつもそこにある労働のシビアさ。なのに笑いも沢山。
架旗透が匂わせ読み手を引きづり込む独特な感性はすごい。
タレント(才能)かな?

自分の恋愛を自力で探すなんて果てしない闇の向こう、手の届かない場所の小さな星を掴みに行こうとするようなもん?
何万光年かかるんだか……。ああ、面倒くさ。
そんなんだから婚活、やっちゃうよな、そりゃ。 早く答えが欲しいもんな。
手をのばしちゃったか……。 男はつらいよ感。

けど、実際は理不尽でしょ? 労力に見合う収穫ないよな? きついでしょ? 
かえって疲弊しない? 俺トクできてた? 
宇宙の法が婚活にも当てはまればいいのに。
ちがう?  恋愛はどこか沼のようで、To DoではなくFall In がしっくりくる。私はそう思うのだが――。
婚活はその前段階な印象。そこに必ずゴールはない。
そしてサービスなら払いにみ合う満足度は必要不可欠。けどそれは常に損や侘しさとの背中合わせのリスク。キツイよな。
そう思わずにはいられなかった。男はつらいよ感。

俺の信じるただ一つの最強。
それがあるから今この世界でやっていける。
俺の世界で面倒くさいを帳消しにしてくれる存在が、リアルでも面倒くさいを、ぶち壊してくれればいいのに。
そんな声も聞こえてきそうな世界に私の心は揺れた。


『鯨の仔』 維嶋津


凍てつく世界、二人の巫女、終わりか始まりか。
 
ひとくちに、小説と言っても様々な表現があるんだろうが……。
全くどうしてか、文ばかりを読んでる気がしない奇作がこれ。
なんだろうな。見えてくるアンビエントさかな?

静寂の展覧空間で現代のモダンアートを鑑賞している感覚に近く。あるいはダークな色調を帯びた映像作品を暗い室内で観ているような。そんな気持ちにさせられる。
こんな言い方は大概かもしれないが、本作の表現は何となくやらしい。表現される世界の空気が頭の中にまとわりつく感じで、ずっしりと重い情景として湧いてくる。
どうか良い意味でとらえて欲しい。

過酷な環境で足掻く成熟しない精神が終わりに向かう世界のわずかな時をいっそう切なく感じさせてくれた。
未熟だからこその反発なのかなと。大人だったらこうはならなかったかもしれない、環境に迎合したかもしれないと思わずにはいられない。

だけど私だって、理屈で説明できない向こう見ずな考えをもった経験は記憶にある。想像するのは勝手と行動はせず反抗的な思いだけを持ったことなら山ほどに。
人の世界の末なれば、自我を持って成す行いは少なからず反発となるのか。
柵からの脱却が若者に残された最後の勇気と自由になるはずだよな……。
成功が不確定でも、歪な社会からの逃避が、何処かに自分を見つけるための一歩になると。
本作では、その辺が人が人である尊厳を守ろうとする気高さなのかな。だって好きに生きそして死にたいじゃない。人と人以外を明確にする境界線がそこにあったと思う。
人として大人になった今だからこそ、自分の過去を切なく省みる思慕も湧いた。ほろ苦い感情を持ってしまった。世の中の歪みへ物申さななくなったのは、今私は大人だからとあれこれ言い訳まで思いつく。平和な環境で恵まれてに生きるからこそ持つ保身の感情だ。……あんまり良くない、これ。

さて、触れたいところに触れようか。
私の想像するクジラは全くどこにもいなかった。裏切ってくれて感謝している。それが最高に良かった。
ぽくみえる、あくまでぽくみえていた……ゆだねられていた。最初から最後まで。ずるいって思ったし、賢いと思った。
独特な体躯をしてたのが憎たらしいく、かっこいよかった。
大型生物に抱く尊さを私から奪われなかった。ありがたい。
どうしたってびっくりするよな、アレが鯨なら。
とてもかっこいい。

たまらなく切ない閉塞を感じる世界観はどこまで作り込まれていて重厚。
終わる世界に在るのは、誰の選択か、謎かけのような空気感。
モダンな様で見えてくる情景にカリスマ的な魅力を感じたし、暴力的音声は生々しい感触を肌身に訴えてきた。奇作でいて芸術性が高い。
さすが表題作。

小説の域からはみ出してない?
だから維嶋津はすごい。

終わる世界は誰の手により、 管理され続ける世界線なのか。誰かが見つける世界なのか。人と人以外の未来の選択を、決断を、下したのモノの意思はわからない。

歴史の終わりとさらに遠い先……、新たな世界の情景が静かに現れる結末に私の心は揺れた。
期待は裏切られなかった。


表紙デザイン  架旗透 / ロゴデザイン 杏野丞


このサークルが表紙やタイトル絵に採用している絵は架旗透が作っている。俗にビジュアルアートやビジュアルデザインといわれる分野。手法はコーディングを用いられる。その産物がコーディングアート(コーディングデザイン)になる。
メイン中央配置で左右シンメトリに近い構図でデザインされている表紙。カリスマ性を含む意図が感じられ、とても象徴的な印象を受けた。真ん中の黒い影からは、本書を読む前鯨を連想していた。けれど読後は、鯨だけでなく棺のようにも感じられた。その中に漂う曲線は海面の波模様か潮の流れかランダムな細青い曲線が心地よい。実はこの曲線、よく見ると弧線を散らしているようにも見えて、それぞれが一本波線ではないようで興味深い。また、棺型の黒の中に配される虹色のシンボル的な中心点とそこから放射状にのびる線画(GOOD TIMEタイトル絵でもミニマム使用されていた形)からは太陽か星かを思わせたが読後は違う印象をもった。表題作の作中伏線回収場面で明かされる光を表しているように思えた。バックグラウンドの青っぽい灰の淡色。これは中央の黒い棺形とのコントラスト感がとても良い。読後でも表題作の世界をイメージけん引し、作中の世界を想い起こさせてくれる。
タイトル作家名のロゴデザイン。レタリング作成はオリジナルかは定かではないが、杏野丞の手によるもの。表紙画との全体的なバランスや配色でのコントラストのつけ方など、表現への拘りがよく出ていると思う。『の』の赤さがおしゃれでひと際目を引く。良いデザインだと思う。

以上

グローバルエリートの同人小説SFアンソロジーWORK『鯨の仔』全てを読んで感じて想ったこと。
一応、感想ではあるけど、個人的に想いばかりを書いた。本の内容報告にはしたくなかったので、エッセイ要素が濃く伝わっていれば嬉しく思う。
最後まで読んでくれたなら感謝。お付き合いいただき、どうもありがとう。
私のエッセイ(感想)をよんでグローバルエリートの同人誌に興味を持った方はぜひ東京文学フリマ会場で足を運んでみて欲しい。彼らのWORKに出会えるだろう。




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