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エネルギーはものを考えるな

好きなんてどうでもいいことである。
相手にとって。好きは自分の問題であって相手の問題ではない。好きと告白もしくはアピールすることは無意味だ。相手にとって。
そうしたいならすればいいが、それをしたい自分がそうしてるだけで、自分のための酔っぱらいになるためのほかの誰にも関係のないエンジンの空ぶかしだ。
好きって言うのはプレゼントではない。
好きと言われた側が気を使ったりすることではない。好きでも嫌いでも同じことだ。ただそれを思う人間の性質がそういうことだというだけだ。好きだから、こんなに好きなのだから、だから見返りが欲しいというのは、シュールな話だ。
自分のために好きなのであって、相手のためになることでない。なのに、こんなに好きなのだから相手は何か自分に都合の良い反応をすべきだと思い込むのは危険だ。最初から最期まで自分の利益しか考えてない。相手は自分が浮かれるための歯車ではない。
相手は自分と同じような人間だ。自分のために生きるのが精一杯のか弱き人間だ。自分以外の人間に余力を使うのは余力があるとき、ごくごく微量だ。微量の優しさは、自分がよほど有り余っているとき、発揮できる。
でも人間は、自分の人生の責任を果たすために生きている。その人だけの課題があって、その人だけの宿命があって、その人だけの美質がある。
自分の人生の運転に真摯に向き合い続けることだけが、人間がやれる全てだ。
俺もそうだしおまえもそうだ。全員そうだ。
だから、好き嫌い、良い悪いなどに時間をとられるのはバカだ。ダメなところに落ち込む時間をとられるのはバカだ。出来るところに浮かれる時間をとられるのはバカだ。毎秒毎秒天然でいるしかない。毎秒毎秒工夫を実行していくのみだ。得られると思ったら大間違いだ。失うと思うのも間違いだ。得もせず失いもしない。自分の肉体含めて全ては自分を通りすがるだけである。自分は運動そのものであるだけだ。力そのものであるだけだ。エネルギーはものを考えるな。

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