だいじなもの。運命。感情。整頓。

だいじなもの。運命。感情。整頓。

最近の記事

お前は怖い

人のことは攻めてはいけない。もちろん自分のことも。自分は情念が濃い。怒りや悪意や殺意も感受性の分だけ濃い。 人を散々いじめ、散々傷つけてもきたが、一番のターゲットは自分であった。自分が自分に一番いじめられた。自分が自分に一番傷つけられてきた。 お前の燃えるような冷たさ、切り裂くような怒り、底なしのような暗さ、地獄のようなしつこさ、これらを他のどんな奴よりも何万倍も受けてきたのは間違いなく自分である。 ずっと、自分を責めてきた。 逃げ場がなくなる。息が苦しくなる。恐怖で思考が止

    • 仲間はずれを愛せよ

      この人生を生きていると、人間関係でつまづくことが多い。あらゆる人間と頻繁に緊張状態になる。他人か知り合いかはあまり関係がない。親でも子でも、先輩でも後輩でも、ハエでもネコでも、見境なく特攻態勢に入る。 僕は、自分が思っている以上に我が強く、ひとつのセンテンスで死んだ気になって意地を通すところがある。 感受性が強すぎる部分が、脆く儚い人間関係の原因でもあるし、いまだに大いなる飛躍を信じている根拠でもある。 視野は狭いし瞬発力はない。柔軟性もない。 でも、一途でやり通す忍耐力と持

      • それでいいのだ

        よく物事を見るようになった。よく感じたことを整理できるようになった。そして、速さは足りないが、連想していけてるし、不安定になっても前より早く持ち直していると思う。 観察するし、整理もするし、気持ちの安定時間が多くなったのは、もっともっと評価するべきである。 まだ基本受け身である。相手次第なところが大きい。自分の個性がない。スタンスがない。 見て聞いて感じて学び、そしてスタイルを作っていく。 今はまだ見る段階なので、求めるのが早すぎるのだが、変化の予想以上の速さに次のステップを

        • 嫌われる宿命

          カメレオン根性がある。特に意思がない状況において、他人や周りの雰囲気を読みそれに同化する。役に入るというか、空気そのものになろうと動くところがある。 役づくりして役に入るのならば役から抜け出せるのだが、ナチュラルに同化してしまうことで役と自分を混同してしまい、状況が変わっても役を引きずり妙な空気そのもので有り続けることがままある。 相手が求めるものを演ずる、という習慣も時には考え物である。 何故なら相手が求めるもの、これが「自分が考える」相手が求めるものであるからだ。 本当に

          会話のコスパ

          会話にもコスパがある。会話におけるコストは、エネルギーの大小、時間の長短、自尊心(私欠点暴露など)の切り売りの状況などによって決まる。 熱を入れて喋って返りが少なければコスパが悪いし、時間少なく相手に大きな喜びをもたらせばコスパは極めて良いし、自分の腹を割った放しに相手が一口で飽きれば、コスパ最悪のやけっぱちのクソ破産ということになるる。 コスパ良くする工夫がその後の勝敗を分けると言っても言い過ぎではない。 そのためにはどう思われても構わないという考え方を徹底してからだに染み

          会話のコスパ

          欲よごれの餓鬼は軽く蔑ろにすればいい

          バカに頭にくる。よくあること。バカはバカだからバカなのだ。バカに腹を立てたってバカはバカのままだ。バカなのだから。バカは治らない。不治の病のバカ病の人にバカと言ったところで、可哀想な感じになるだけ、痛々しい雰囲気が出来るだけだ。 主観派はバカの主犯格だ。自分の利益と自由しか認識できない主観派にとって、他のことは見ても見えてないし、聞いても聞こえていない。目と耳があるのに使えないから、だからバカなのだ。 周りがわからず見えず聞こえず、自分の利益と自由しかわからないから、途方に暮

          欲よごれの餓鬼は軽く蔑ろにすればいい

          目で考えろ

          頭でなくて目で考える癖をつけろ。頭で考えてるときはだめだ。 目を頭の道具と思っちゃ行けない。逆だ。目で考える。目は余計な理屈や戸惑いなどがない。タイミングをずらしたくないなら、目で考えることだ。 頭で考えてるときは目の具合が悪いときだ。目の具合が悪いから頭で考える。 頭で考えるから現実の現象とずれて間違える。 まず目。目の次は耳。目も耳も塞がれてるときは、目も耳も具合が悪いときは、寝ろ。目を休めろ。大事なのは目だ。

          目で考えろ

          失いたいと思うのも同じこと

          得たいと得られないというのはわかった。 得たいと思うから得られないとき不幸せだし、得たとしても失うのが怖くなり不幸せで、実際失ったら不幸せになる。 だから得ようとするな。というのはわかった。 そして新たな願望に気づいた。 なにをしても上手くいかない。得たいと思ってないのに。どんどんと気分が落ち込む。要するに不幸せだ。何故だ。 失いたい、と思っていたから。なにもかもどうでもよくなり、現状に嫌気がさし、全てを失いたいと願う。 プラスになりたいと願わずとも、マイナスになりたいと願う

          失いたいと思うのも同じこと

          エネルギーはものを考えるな

          好きなんてどうでもいいことである。 相手にとって。好きは自分の問題であって相手の問題ではない。好きと告白もしくはアピールすることは無意味だ。相手にとって。 そうしたいならすればいいが、それをしたい自分がそうしてるだけで、自分のための酔っぱらいになるためのほかの誰にも関係のないエンジンの空ぶかしだ。 好きって言うのはプレゼントではない。 好きと言われた側が気を使ったりすることではない。好きでも嫌いでも同じことだ。ただそれを思う人間の性質がそういうことだというだけだ。好きだから、

          エネルギーはものを考えるな

          自分は自分でない。

          言葉を先に考えるな。魂から生きた言葉は生まれる。魂の方角がしっかりあってこそ、意味の分かる言葉が作られる。自分は自分に乗る運転手だ。自分と自分は別だ。この自分を乗りこなすのが人生の目的だ。自分という車が他人に嫌われたって自分には関係ない。だって自分は自分ではないのだから。自分は運転をどうするかであって、自分の存在や自尊心がどうとか、性格がひん曲がっているとか、能力が足りないとかあるとか、そんなの関係ないことだ。自分は運転手だ。決して弁護士ではない。 言い訳師でもない。 考える

          自分は自分でない。

          言葉の匂いと言葉の限定性

          良い言葉は匂いが出る。言葉とは魂を込めなければ匂いが出ない。魂の入ってない言葉などいくら正しかろうが、あいうえおを並べた記号や音符に過ぎない。つまらない言葉は人と人は同じであることだけに終始する。人と人は違うということを含めて自分を語らなければ何も語っていないことと同じである。 つまらない言葉を吐く人は、言葉を神からのギフトのように相手に食べさせようとする。何の迷いもなく。何の恥じらいもなく。 自分の顔を隠して人の顔について語っている。 何も伝わらないし、何も刺さらない。眠い

          言葉の匂いと言葉の限定性

          悟りなんて思い付きなんだから忘れるのは当たり前

          悟りは1回悟ればいいってものじゃない。 悟りなんて思い付きである。思い付きなんてすぐ忘れるのだ。忘れて、何だよ悟ったはずなのになんて、そんなの横着だ。 1回ゴミを捨てればもうゴミは出ないのか?出るだろう。 苦しくなるのはずっと起こり続けるのだ。痛みなんて、治ったら治ったで全く予測できない箇所から新たに生まれるのだ。 病気になっては治療、治ってちょっとしたらまた病気、繰り返しである。それが生きるということだ。生きたくないだろう。それもいい。でも死ぬのも嫌だろう。それもいい。誰も

          悟りなんて思い付きなんだから忘れるのは当たり前

          黙りたいひと、しゃべりたいひと

          何をしゃべっても上滑りしてしまうときがある。 大抵しゃべりたくないのにしゃべっていたり、興味ないのに質問していたりするときがそうだ。 こちらのトークに心がないから、会話が言葉ツラの軽さと裏腹にニュアンスが重くなる。 明るい質問の表情が暗くなる。 キャラクターから質問は生まれ、キャラクターから答えは生まれる。 キャラクターが死んでる状態からは何ものも生まれない。 まず相手に質問する前に、自分の今のキャラクターの門がオープンしてるのか、閉じてるのか、知らなければならない。 逆も同

          黙りたいひと、しゃべりたいひと

          イライラするときは、1にする

          すべてのものごとを1にする。 調子が悪いとき、頭が悪いとき、たくさんの失敗をし、失敗を繰り返す。失敗に腹が立ち、視野が狭くなり、また失敗をし、また腹が立つ。 自分に迷惑をかける腹が立つ人間も同じだが、すべての失敗と怒りは1に向かっていないことによっておこる。 これを1度にすますにはどうするかを考える。 これは1度すましたことではないかを考える。 すべての苛立ちは繰り返しで起こる。 やると言ってやらない。わかりましたと言ってやらない。ごめんなさいと言って同じことを繰り返す。 お

          イライラするときは、1にする

          心の悪口を言いまくれ

          悪口は言い過ぎるに限る。今言うのは心の悪口の話である。 なんやあいつ。。。 それだけで終わってはいけない。それだと余韻が残る。悪口の根っこが心に残る。 なんやあいつ。。。あいつの親族全員不当逮捕されろ。。。 いやまだ足りない。もっと言うのだ。 なんやあいつ。。。顔はブスで救いようがないのに根性が曲がってる上に足もくさいし親戚一同品がない。地球から出て行ってくれ。もしくは肛門5メートルに広がれ。奥さん浮気しろ。なんかの手違いで借金背負え。事故ってヤクザの家につっこめ。などなど。

          心の悪口を言いまくれ

          線をわきまえる

          わきまえることは良いことである。わきまえることは線を引くこと。線の外には出ない。線の中だけ頑張る。 線の外には分からないことだらけ。分かったふりをしても意味がない。線の外でまで仲間を求める必要などない。 線の中にこそ自分の仕事が待っている。 線の中に居続ける限り、人と諍いは起きない。線の中を頑張り続ける限り、線の外の人からも評価される。 もちろん愛想はなくなるだろう。線の外にいる人に気を遣わないのだから。線の外の人とは距離を開けるのだから。表面上はギスギスする。 しかし考えて

          線をわきまえる