会話のコスパ
会話にもコスパがある。会話におけるコストは、エネルギーの大小、時間の長短、自尊心(私欠点暴露など)の切り売りの状況などによって決まる。
熱を入れて喋って返りが少なければコスパが悪いし、時間少なく相手に大きな喜びをもたらせばコスパは極めて良いし、自分の腹を割った放しに相手が一口で飽きれば、コスパ最悪のやけっぱちのクソ破産ということになるる。
コスパ良くする工夫がその後の勝敗を分けると言っても言い過ぎではない。
そのためにはどう思われても構わないという考え方を徹底してからだに染みこませなければならない。自分の中の矛盾を矛盾のままにしておく勇敢さが必要になってくる。
自尊心など日除けのための帽子と同じくらい無造作に脱ぎ捨てる準備をしておかなければならない。
人にどう思われるか、これを捨てきってしまえば、後はほとんどが楽しい遊びに変わる。
良く思われたいという虚栄心でさえネタとして消化できるようになる。
何もないところからゼロから1を生み出せるようになる。そして1をゼロに変えても痛くもかゆくもなくなる。得もせず失いもしない。
意味のないことを重々しく意味づけすることが一番の悪徳である。
ヒントはポジティブである。
人のことを思っている、人のことを愛している。幸せのために前のめりになっている。目的地をそこらへんの安全地帯に定めておけば、道半ばはどうあれ、山あれ谷あれ最期行き着く先がお花畑なんだと相手に伝わってさえいれば、なんとなく軽くうまくいくものなのだ。
みんなが笑えばそれでいい、そこらへんを的にする限り、溺れることもなければ燃え尽きることもないように思う。