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嫌われる宿命

カメレオン根性がある。特に意思がない状況において、他人や周りの雰囲気を読みそれに同化する。役に入るというか、空気そのものになろうと動くところがある。
役づくりして役に入るのならば役から抜け出せるのだが、ナチュラルに同化してしまうことで役と自分を混同してしまい、状況が変わっても役を引きずり妙な空気そのもので有り続けることがままある。
相手が求めるものを演ずる、という習慣も時には考え物である。
何故なら相手が求めるもの、これが「自分が考える」相手が求めるものであるからだ。
本当に相手が求めるものと同質ではないわけで、自分の腹の中の相手への印象や評価に対しての自分の同化というリアクションである。
相手本人の腹の中と、こちら側が想定する相手の腹の中が噛み合わないことは多いはずである。
となるとカメレオンが擬態出来ずに見当違いの色に合わせることによって、逆に目立ってしまったりする。空気に溶け込むのではなく、妙な空気をひとり覆いかぶさり、ふつうに目立ってしまう。
これからも同化したいなら同化すればいいが、どうせ同化するならちゃんと同化してほしい。
同化することへのスタンスも明確にして、役をもう少し緻密に組み立てるべきである。
そこまで面倒くさいことをしたくないのなら、同化はまだ早い。自分のことだけやる。自分の関係のないことに関係のあるような雰囲気を出さないことだ。
自分に関係のあることにのみ、関係しなさい。
自分の工夫が充実していない人は役に入れない。役に入るとは他人を演じるということである。自分が不安定なとき、自分が空虚なとき、体調が芳しくないときなど、自分と相手との線引きがあいまいな時、つまりは見失っているとき、そういう最悪なコンディションのときに、カメレオン根性を出してしまうと役の本質を見誤り、役が自分を浸食してしまう。よっぽど気力体力充実している時以外は、安易に同化しないことだ。
では何をするか。ゆっくり食べるかぐっすり寝るかしろ。それが出来ないときは風にあたれ。もしくは1曲丸々歌え。
とにかく笑顔を取り戻すことが、ハードル高すぎるくらい不安定になっているときは、他人とうまく関われると思うな。安定しているときもうまく関われてないのだから。よけい悪い感じで関わることになるのは必然であり、予定調和であり、自分の性格的にルーティンである。自分の人生的に宿命である。

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