マインドレスネスと心と未来

”マインドレスネス”という言葉を知った。

無意識でいるという事。よく聞くマインドフルネスはその反対。意識して集中している状態。


私は集中するのが苦手で、仕事がはかどらなかったり自己嫌悪に陥る事が多い。

マインドレスネスという言葉を知って自分なりに解釈し、人生について考えてみた。

”社会に適合しよう”と意識することは自分にとっての自然体ではなく、”適合しようと”集中している状態だ。

”第3者が読みやすいかな”と考えて文章を修正する事も瞬間的に集中している。


私の場合、集中できないのは幼少期から大人になる現在までの環境が影響している。

昭和56年、5人兄弟の真ん中に生まれ、両親は共働きだった。兄弟が多かった為特にさみしい思いはしなかったが、かまってもらった記憶もない。

子供たちの面倒は祖母と耳に障害があり戦争に行けなかった祖父が見てくれた。

鹿児島の自然の中で育ち、通学には毎日片道1時間かけて山道を歩いた。

起きるのが苦手で良く遅刻をしていた。帰り道は田んぼの土手で、おさがりのランドセルを枕にして、良く一人で昼寝ならぬ夕寝をしていた。

兄弟や友人と虫を捕まえたり、田んぼでカエルを捕まえたりして遊んだ。


私は子供のころの記憶がほとんどない。残念ながら授業の内容もほとんど覚えていない。あるのは断片的な記憶だけ。

多分、さほど周囲にかまわれていなかったため、記憶がないんだと思う。集中していなくて人生を無意識に生きてきた。自我に目覚めていなかったと思う。

つまり、兄弟関係や自然環境など、自由な環境に育ち、自由に育ちすぎて意識して生きる事に慣れていないんだと思う。


だから、忙しいこの時代、先進国で働くのはいつも集中が必要で大変だ。

実際の所、会社で働いたり、任された仕事は集中してこなせる。追われれば出来る。高校卒業して働いたブラックな縫製工場のおかげ(皮肉)。

日々怒鳴り声が響き、体罰やいじめがあって皆気が狂っていた。洗脳されていた。

高い技術や生産性や時間の重要さを学んだが、これらに対する恐怖観念は未だに払拭できない。20年たった今でも悪夢を見る。


だから日常は時間に反発する。わざとスローライフになる。

急ぐと失敗するし、悲しくなってくる。

大人になった今は、自然の中でゆっくりしたり、近所のおじいちゃんおばあちゃんとぼーっと時間を過ごすのが心地よい。田舎で適当に干渉してくれる人たちと暮らしたい。


マインドレスネスという言葉を知り、今後の人生は出来るだけ無意識で過ごせる所に身を置きたいと思った(考えていたが、その意識が強くなった)が、現代社会(特に日本)で実行するのは容易ではない。


私のような人が少なからずいるはずなので、そういう人たちが集まる地域が、村みたいなものが出来ればいい。


後進国の人々はいまだにこういう暮らしをしていて、ある意味羨ましい。

その生活を奪っているのは我々先進国の人間だ。

コロナ禍において、田舎で暮らす人が増えてきた。出来るだけお金を使わず平和に暮らす方法を、人とのつながりを求める人が増えてきた。(いたけど浮き彫りになったんだと思う)

”バランスの良い依存”関係で人とつながっていきたい。

存在を認める、受け入れる。聞き流す。愛する、愛される、頼る、頼られる。期待しない、求めない。

それぞれが心地良くいられるバランスを探って。



星野概念さんの考え方が好きだ。

読書は苦手だけど、いとうせいこうさんとの対談本は深く考えずに読める。

躁でも鬱でもないけれど、躁鬱人の生き方が自分にはしっくりくる。







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