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スタートラインに立つ

27日(木)に今年度初めての校内研修会を開いた。

私が研究主任になって初めての研修会となった。

今年度の講師は、授業づくりネットワーク理事長の石川 晋先生だ。

石川先生をお呼びするのは本校は初めてだ。しかも、恐らく石川先生がどのような方なのかを知っている人は、研究部のメンバー4人と他3人くらいだったため、ほとんどの教員がどんな講師が来るのかとやや構え気味で今回の研修会にのぞんだのではないかと思う。

当日の流れは、石川先生の本校の様子をまずお感じいただこう。ということで、午前中はすべての学級の授業を回っていただいた。(このやり方には、計画の時点から問題点はあったのだが。。。やはり45分間の授業をじっくり見て頂き、講師の先生とリフレクションをしていく方が断然現場の教員にとっての学びになる。)

午後は、校内研修会。始めに、石川先生から校内を回っていただいたご感想をお話しいただいた。その中で、いくつかのクラスの教室の様子を画面に映しながら、

「ここの教室がこういうことをしているってこと、みなさんご存知でした?」

「どこのページまで授業進めましょう。というのではなくて、それぞれのもつ学習過程を対話を通して共有することが大切だと思います。」

「となりの教室の実態すらも実は分かっていないほど、共有できていない。校内研究ももちろん大事ですよ。でも、まず職員同士のそういった共有からだとおもうのですが、みなさんどうですか。」

私的には、このお話の時点で、本校の課題が明確に浮き彫りになったと思うし、私が本校に感じてきた課題を代弁くださった気がした。

石川先生のお話は会のはじめから根底から変わっていかないといけないということを、明確に仰っていただいたと、私は捉えた。

その後は、石川先生がファシリテーターになっていただき、私と他2人の教員と対話する「トークタイム」に入った。この「トークタイム」は、「新しい研修会の形を」という思いで、私を中心に研究部で話し合った内容だ。不安な中だったが、夏休み直前にやっと形になった計画できた。

ま〜、とにかく何から何まで初めてのことばかりの研修会だったのだ。

話を戻して、トークタイムの途中、学年内でトークタイムの話からグループ対話をしてもらった。

私は、グループ対話には参加せず、全体をフリーで見ていた。この時、教室でも起こり得る光景を目にした。

それは、対話が次々に進む学年、なんだかかったるそうな雰囲気で対話が滞っている学年という光景だ。これってグループ活動をさせる授業の時に、よく見られる光景とまるで同じだった。対話が滞っている学年に近寄ると「何を話せばよいのですか?今は何の時間ですか?」と聞かれた。

そのような場面をつくってしまったのは、もしかしたら私の計画が悪かったのかもしれない。それでも、計画のことよりも強く感じたのは、「教師の言語活動の経験不足」「教師が何かを見いだすための対話の有効性を実感できていない」という点だった。

昨年度末、校内で本校の課題と感じていることをアンケートしたところ、「児童の表現力の不足」「コミュニケーションの不足」といったような内容が共通点で挙げられていた。しかし、それは、「児童」ではなく「教師」に課題があるのだということが、今回の研修会で明確になった気がする。

石川先生が「対話は跳び箱のようなもの」という、場数が大切だというお話は、これもまた児童にだけでなく、むしろ教師に向けられたメッセージだと感じた。

研修会後、石川先生とお話させて頂き、石川先生から「教師が対話を重ね、対話の有効性を感じずに、対話を子どもにさせ続けている以上、対話していく子どもは育たないだろうね。」と。

まさにその通りだと思った。

石川先生が講師として来てくださり、本校の根本的な課題を明確に示して下さったとともに、これまでの学校文化の定型にザクっと斬り込むような新風を本校に吹き込んで下さったこのスタートはとても意義深い。

まだ数枚だが、研修後に私に届いた感想用紙には、「まず教師同士の対話が大切」「教師同士のコミュニケーションを図ることから始めよう」「対話は跳び箱と同じ。経験の積み重ね。」といった、前向きな感想があった。

しかし、私としては、恐らく今回の研修会で不満を感じ、気が乗らない人もいることをしっかりと見落とさず、そういった職員との対話を繰り広げていき、心を通わせていかないと、という緊張感もある。

本校の研究はまだまだスタートを切ったばかり。いや、もしかしたらスタートラインに立った段階かもしれない。今後の校内研究が、やらされていることではなく、教師同士が教師として成長し合える自分事となっていくように、志ある仲間の力も借りながら進んでいきたい。

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