暴力禁止の害

SNSもヤフコメも、人心の荒廃が問題視され、次々と中傷の規制策が提案されている。だがすべて逆効果だと私は見ます。中傷規制策が中傷やデマ流布や抗争を招いたと言ってもいい。

絶対的優位
先だって、知恵袋で「福祉職の強姦事件が多いが、障害者に欲情するのか?」との質問に回答した。
「性欲ではなく支配欲、相手の生殺与奪を握れば、必ず蹂躙したくなる」
「一般市民でも、徴兵されて敵国を占領すれば、必ず強姦するのと同じ」
みもふたもないが、端的に説明できたと思う。

福祉職や教職、悪代官や大物芸能人、つまり「一方的な優位」に立てば、相手の人権や人格を蹂躙(じゅうりん=ふみにじる)したくなるものです。
ぜったいに仕返しされない、一方的な優位、これがあれば、相手を踏みにじることが可能になります。

不公平裁判
学校における「いじめ」を例に取りましょう。
担任の指導の下、クラスで一致団結して、物を隠し、服を脱がし、カンニングや発達障害の嫌疑をかけますね。
集団で暴行を行う。もしも、被害者が相手の手を払いのけたら、その瞬間「暴れた」として教職員たちに取り押さえられ、刑事事件化されます。
集団暴行は罪に問われませんが、被害者が抵抗すれば、それは「暴力」となります。

昭和時代ですと、学校で喧嘩があれば「何があった」「どっちが先に手を出した」を必ず聴取されました。
しかし、現在では絶対に事情聴取を行いません。もし事情聴取を行えば、被害者を「暴力」で訴える楽しみが無くなってしまいます。

「何があっても暴力は絶対にダメ」

こう決めることで、恣意的に被害者のみを処罰する「いじめ」が可能になります。

SNS村八分
ネットでも、同じ手法が採られています。
業務や趣味としてネット政治活動を行うチームが、集団で1人を中傷します。
被害者が反論せざるを得ない状況を作り、反論させる、その反論部分のみを切り出して「少数者に対する差別発言を行った」と流布し、善意の援軍を呼び集め、通報・凍結を行わせます。

SNSの処分基準は、公表されていません。
主に、通報件数によって一時凍結され、一時凍結回数によって永久凍結されます。
文脈に関わらず、文中に「殺」という字があれば通報が受理されます。殺虫剤でも天中殺でも良い。

処分に公平性がないので「中傷によって援軍を増やす技術」により相手を抹殺することが可能です。ここにゲーム性が生まれています。

何人か不幸な見せしめを作れば、大勢は加害側になびきます。これは学校教育と同じ。
安倍時代の生保受給者や外国人への排斥、その反動がある今はジェンダーやポリコレが「絶対に反撃されない、他人を殴る角材」として機能します。

ネット中傷対策
ネット中傷への対策は、一般人の投稿を抑制して「指導者&信者」の小集団に分けることでも、スマイリーキクチ氏の談話を載せることでもありません。
「他人を中傷すれば、自分に返ってくる」状況を取り戻すことです。

ゼロ・トレランスで、暴言を取り締まる。
これは、学校で「暴力は絶対ダメ」と被害者の正当防衛を処罰しているのと同じことです。
また、ユーザー相互監視として通報制度の利用促進を図るのも、虚偽通報で相手を陥れるゲームを与えるだけです。

「相手を中傷すれば、自分が恥をかかされる」
「他人のプライバシーを書けば、自分も書かれる」

そういう因果応報を規制したことで、人心が荒廃し、絶対に反撃されない集団に所属しようと躍起になるわけです。
「他人を殴ると、自分も殴られる危険が生じる」
この当たり前の原則を復活させる必要があります。

「暴力は理由に関わらず絶対ダメ」にすれば、いじめが激化します。
「中傷があれば通報してください」にすれば、集団による中傷が盛んになります。

人心の荒廃、ネットでの中傷を防ぐには「加害すれば自分に返ってくる恐れがある」という状況を取り戻すことです。
規制強化は集団加害しか生んでいません。

追記1
世の中そこまで酷くない、という声があるかもしれませんが、筆者は滋賀県大津市の中学生の保護者である件、考慮してお読みください。

追記2
SNSにおける言論状況について筆者は、次のように見ています。
米テックエリートは成功者として内心で一般人を見下している。日本の広告系富裕層は異質ながら米を騙す形でこれに取り入る。双方に公平性や社会的使命感が欠如しているので、誹謗中傷対策は常に、商業的または人格的な支配欲が混じった形になり、法人や集団が優位に立つ規制のみが繰り返されて、多数派形成ゲームが生じてしまった。

追記3
本稿を通報しないでねw

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