本当に恨んでないってばw
私の母校、京都府○○市立○○中学校は、ヤンキーの巣だった。
「今年のドラフト1位」と、反社になる者がいたぐらい。
(Wikipediaを開くと壮大な叙事詩が載っている)
ある日、友人に呼ばれ、山に面した敷地の隅に行った。
ヤンキーが、木の枝を引っ張って山に隠れていて、枝を放す、枝が顔を裂いた。
で、この怪我のおかげで。
前回、メガネの破片が目尻の皮膚に入ったままで、笑うとチクチク痛かったのが、顔が裂けたのと流血で、うまく流れ出て、笑っても顔が痛くなくなった。
「人間、なにが幸いするか、分からんよなぁwww」と、高校で上記の話をしていた。
サッカー部の同僚が「お前をおびき出した、その友達が許せんわ」と。
「そら済んだ話やからエエがな、あの頃は危なかった、ヤンキーの言うこと聞くんは当然や」
「いや、なんぼ危のうても、友達を裏切って、ヤンキーに売るのは許せへん」
「エエがな、しゃーないやろ」
「お前がエエ言うても、俺は許せんわ、誰や、言うてみぃや」
「エエて」
「俺が話つけて、謝らせるし、誰や言うてくれ」
「いや、言わん」
「誰や」
(以下、押し問答が続く)
「言わんゆうとるやろ」
「言うてぇな」
「………しゃーないなぁ。オマエやんけ。ほれ」
「あーーーっ!」(土下座)
その場にいた部員一同が爆笑。
同僚君、おっちょこちょいだが、ともかく人柄の良い奴。
最初は補欠だったが、部員の総意としてGKコンバートと起用を監督にお願いして正GKになった奴。皆に愛されるおっちょこちょい。
「すまん、すまん」と無限に土下座。
「おまえ、自分でやってて忘れてたんかwww」と部員たち。
「危なかったし、毎日こんなんやったから………俺が話を終わらせにかかってるのに、アホが食いついて、言わなしゃーないようになったwww」
やった方は忘れ、やられた方は忘れない、という話ではない。
俺も、呼び出したのが部の同僚というのは考えていなくて、「次の怪我で、前回のガラスが皮膚から抜けた」のが面白くて覚えていたに過ぎない。
それより「暴力で支配された状況下での裏切りは当然、許す」である。
中学のヤンキーは、教師や市役所の後援の下に、好き放題していたのだから、これに逆らうと高校進学にも支障がある。怪我は1カ月で治るが、学歴は治らない。
暴力と権力の合わせ技だと自然に、他人の人格をもてあそぶことをやりたくなる。わざと友人を裏切らせることで、自分の力を確認するわけだな。
以下、本題。
Twitterにいた時、共産議員の御子息が、私の風刺画を自作と称して再配布。それをとがめたら「ネトウヨ」「レイシスト」「セクシスト」などの称号、取り巻きたちからいただいた。
「キノクニヤと会話した者は、敵側に堕ちたと見なす」というトリマキ連に気兼ねして、以前は懇意だった左翼や著名人やジャーナリスト、1人また1人と絶交されていき、10年かかって左派の集団通報により私は永久凍結になった。
いま「あの人は気の毒だけど敵側に堕ちたから仕方ない」とか「差別投稿ばかりしていた」とか「頭おかしくなって陰謀論と付き合いだした」とか嘘八百に迎合。
まぁずいぶん友達甲斐のない対応を取られているが、それを恨むことは一切ない件、改めて書いておきたい。
むしろ「長いものに巻かれて迎合したこと、恨まれてんじゃないかと戦々恐々」になられては困るんだw
暴力や権力の下で、友人を裏切らせて遊ぶのは、ごく普通のことなんです。
戦争経験こそないものの、京都郊外のクソな町では「暴力の本質」ぐらい、誰でも中学で学習済みなんですよ。徒然草「仁和寺にある法師」と同レベル、誰でも知ってる。
暴力や権力で支配されている状況下で、友人を売るのは、仕方のないことなんです。
旧ソ連の人々も、日本の戦中戦後も、みんなソレを余儀なくされた。
いま、リベラルや左翼を自称する方々さえ、ソレを行っていても、責められることじゃない。
なんとなく広告屋に飼われ、言論を握られてんだから、仕方ないんです。
左派として計画された通り、ワガママや中傷を叫び、世論を敵に回し、与党安泰に寄与していればいいんです。
大事なのは、戦後だな。
後ろめたさで犠牲者を処罰したり、自分はヤマシイ所がないと思い込んだり、していると、旧ソ連と同じことになる。
「いやーすまんかった」「あのころは大変だったなぁ」これでいい。愛すべきGK君みたいに。
最近、私がココに流れ着いたとtwitterで気付く人が出たようなので、ちょっと書いておいた。
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