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本読みの履歴書 15

【この記事、2023年11月18日の17時ごろに投稿したのですが、なぜか日付が一月以上前になってしまったので再投稿しました。スキをくださったかた、消えちゃってすみません。】



この本読みの履歴書の最初の方で「人生で一番本を読んでいたのは小学校時代」と書いたけれど、中学高校でも結構読んでいたようです。小・中・高校時代が本にあふれていたというべきかな。
当時の学校に朝読書はありませんでした。同年代の中ではよく読んでいる本好きな子どもだったのでしょう。今も好きだけどさ。
前回はこちら。


<いろんな意味で記念碑的作品>

84.シェイクスピア 「真夏の夜の夢」

原文で読破。しかもこの100冊のリスト中、唯一の戯曲。
ああ、原文と言ったって対訳付きのやつですよ。

だって劇に出たんだ、わたし。なんかよくわからない体験でしたが、とにかく。

セリフが長いのであちこち削りまくりました。劇というからには自分以外にもたくさん出演者がいたわけで、みんな好き好きにセリフを削り、自分が言いたくないセリフも勝手に削っていましたね。だって真面目に上演したら2時間以上かかってしまうし、親切な友だち以外は客が入らない高校文化祭の片隅だし。ストーリーはなんとかとどめてそれでも上演したのでした。母にはピンクの舞台用衣装を縫ってもらいました。お母さんありがとう。

人生を3分の2以上すぎた今になって、自分にはもしかして演技の才能の、かけらくらいはあったかもしれない、と思います。
お芝居するのは好きでした。もちろん素人ですから知れてますが、それでも周囲の誰よりも演技はできたと思うのです。何も習わなくとも。
趣味にしてもそのまま演劇の方向に行っていたらどうだったのかなあ。まあ華のない人間なので主役を張るのは無理だったでしょう。でもやってみたかったな芝居。



85.庄司薫 「白鳥の歌なんか聞こえない」

庄司薫は赤黒白青と全部読みました。この本は「白」。芥川賞を取ったのは「赤」の「赤ずきんちゃん気をつけて」でした。割に好きだった記憶が。でも自分では手に取らなかったと思うんです。

これは友人が「とってもいいよ」と貸してくれた本。そちらの仲間内で流行っていたようでした。この1冊読んだらすっかり「薫くん」の世界が気に入り、それでシリーズを読むように。
似たような時期の本でも柴田翔「されど我らが日々」は少し感覚的に、自分には合わなかったです。読んだけど。石川達三の「青春の蹉跌」も映画のあらすじを聞いて結局読まず。

柴田翔と石川達三の方はそれ以前の日本的メンタル(そういう言い方をしていいのか悩むけど)が色濃かったので避けたのかな、今思うと。
戦前から綿々と続く日本的な人間関係とか価値観(そんな大きな言い方をしていいか悩むけど)とか、そんなのが、ブッキッシュなくせにお耽美で軽薄なJK(=わたし)にはうっとうしかったのかもしれません。そこから逃れたいのに、わざわざそういう物語は読まなくていいや、みたいな。

ああそうか。だからこの時期というか、子どもの頃から日本の物語にはほとんど食指が動かなかったのかなあ。読むのはヨーロッパと北米の翻訳物ばかりでした。ニッポン的な人間関係とか家族・親戚関係とか、ニッポン的な文化とか価値観とか、そういうものから立ち去りたかったのかもしれない。今になって思うけど。

ところで庄司氏はこれ以降、特に目立った作品がないのだけれど何をやって食っていたのでしょう? 投資家だったのかな。奥さん(ピアニストの中村紘子)が亡くなられて今はどうされているのか。


86.アンドレ・ブルトン 「ナジャ」

自分で買ったハードカバー。「変な本好き」の系統。
何でブルトンを読んだかというと、当時シュールレアリスムが大好きで、ダリの画集(美術全集の中にあった)などを好んで見ていたからだと思います。
いや、逆ですね。ダリが好きだったんだ。ダリが好きなのでその流れでシュールレアリスムに興味を持ち、文学にも手を出したというのが順番だな。精神分析も大好きだったしな。

この年になってみるとシュールレアリスティックなダリの作品は少し脂っこいです。ほら、若い頃は豚カツが大好きだったけど年を取ったら脂っこくてあまり食べられなくなった、って、そんな感じ。ダリはちょっとギラギラしたところがあるんですよね。それでもずっとファンではあります。本人のあの髭とか!

で、ブルトンに戻るんですが、この本はブルトンがシュルレアリスムの「自動書記」という手法で書きまくった日記みたいなものです。最初の方はいろいろな同時代の人々との交流も出てきて何だろうと思っているとそのうちナジャと出会います。ナジャは女神ミューズでしたが最後は精神病院に収容されてふたりの関係も終わってしまう。このへん、実録なのかフィクションなのかと思っていましたがナジャも実在の人物みたいですね。若いとんがった芸術家と恋愛と貧しさと不安定な精神をごちゃまぜにした、物語とも記録とも何とも言いがたい本。いまは岩波文庫で出ています。

美とは痙攣的なもの。
それが最後の文章でした。そうなのか。


87.和田誠 「倫敦巴里」

これを読まずにパロディを語るなってくらい、自分の原点といってもいいほど。
たまたまこの本を(しかもハードカバーで新刊を)買った、ということが、潜在的な自分の嗜好性を花開かせたと言うべきか。あれ、これ大学に入ってから読んだんだっけ?

残念なのは自分がほとんど映画を見ない人間なので、映画ネタがまるでわからなかったこと。監督とか、俳優とか。わかるともっと面白いでしょうね。
「殺しの手帖」(暮しの手帖のパロディ)なんかはフォントも構成もそっくりで笑う以外ないし、有名画家の絵の贋作も最高でした。
「レジェ「鉄人28号」」とか。

なんにせよ、わたしがもしも、ふざけたおもしろおかしい文章を書き散らすとしたら、それは原体験としてこの本があるから……でしょう。特に「雪国」が。
「雪国」は何年たっても傑作です。
新版(「もう一度倫敦巴里」)の方には「雪国」ハルキムラカミのバージョンも載っていたはず。

新版も旧版ももう見当たらないのですよね。
和田誠の展覧会にたまたま足を運ぶことができたのですが、その会場にも旧版の「倫敦巴里」が1冊展示されていたきりでした。
新版を買いたいのですが、どこかの書店にあるかしらん。




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