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創作の生まれるところ #真夜中インター 

同人誌って、ちょっとエッチなやつばかりじゃない。

#真夜中インター ネットで出会うような、あなたの創作とのエピソードを教えてください!
創刊のお祭りで、あなたの創作とのエピソードを大大大募集します〜〜!!

・推し創作との出会い
・インターネットで創作してよかったこと
・創作が誰かに届いたエピソード
・はじめて創作したときのこと
・創作のつづけ方
などなど

あなただけの創作とのエピソード、ぜひぜひ教えてください〜〜!!

野やぎさん

このたび野やぎ編集長ふくめ4人の勇士(有志?)が本を作られるとのこと、
おめでとうございます~~~ひゅーひゅーパフパフどんどん!!

なんて楽しそうなんだ!と参加させていただくことにした。
100問100答も途中なんだけれどそれはまた後で書くことにして、エッチでない同人誌の話を。
わたしたちが作った同人誌はみなエッチじゃなかった。エッチを考える余裕もなかった、と言うのが正しいかも。


記憶にある限り、絵を描きだしたのは小学校の低学年だったと思う。表紙に北島洋子の絵が描かれたセイカの自由帳にマンガのようなものを描いていた。だいたいお人形風のイラストでストーリーは特にない。

文章を綴ることはしなかった。当時、毎日のように読んでいた少女マンガと同じような絵を描くのが楽しみで、いつも授業中にノートのすみに絵を描いていた。自分で考えたキャラクターの説明だとか、おもしろかったマンガに似せた表紙絵だとか。そして常に表紙絵と最初の1ページで頓挫し、どれもお話として完成することはなかった。


中学の時、クラス全員分が張り出された美術の作品の中で明らかに

(この人、少女マンガ描いてるわ!)

という絵を見つけた。数名がバスケットボールをしている絵だった。顔の描き方が少女マンガ風だ。なんとなくわかるものである。
さっそくその子に聞いてみるとやはり描いているという。やった!
それまで孤独にひとりでイラストを描き殴っていたので仲間を見つけた喜びは大きかった。ひとりしかいないと思っていた宇宙に思いがけず人類を見つけたみたいな。

それからその子とすっかり仲良くなり、お互いにノートに描いた絵を見せ合うようになった。彼女がストーリーのプロットを作ったりキャラ設定を細かく決めたりしていたのでさっそく真似る。創作は憧れと真似から始まるのだ。もっと上手な人たちの原画展も見に行った。同人誌というものを初めて知り、自分たちでも作れないかと模索した。さらにマンガを通じて別の人たちとも知り合い、高校の頃には青刷りコピーで同人誌を作るようになった。

青刷りって知ってます?

わたしたちは「青刷り」と言っていたけど、今ググると「青焼き」と呼ぶらしい。湿式コピーと言って、トレーシングペーパーに黒インクや墨汁で描いたものをコピーすると、ジジジジと言いながら薬液に浸った湿った紙が出てくるのである。そこに描いた絵や文字が青と言うより紫色になって浮き出ている。光を当てながら薬液に浸す方式になっていて、黒く描いた部分、つまり光を当てて暗いところが印刷されるらしい。その構造上、ホワイトは使えない。あ、ホワイトというのは修正液のことである。

つまりイラストを描くときはGペンなどペン先に墨汁を付け、絶対に失敗できない状態で一気に絵を描くのである。何度も失敗したし印刷自体も紫色の全然クリアでない画質でしょぼかったが、今のようなコピー機なんか無かった。青刷りの印刷機は仲間の1人のお父さんが持っていて、古いので自由に使わせてもらえたのだ。

機械から出てきたベロベロに濡れた紙を一枚また一枚と乾かし、すべてのページが完全に乾いたら手で折ってホッチキスで留める。それが私たちの同人誌だった。部数は描いた人数分のみ。インターネットどころかコミケがなかった時代である。エッチな部分はまったくなく、少女はみな大きな瞳にフリルのついた服を着て背景には花と星が飛び、ガーリーな憧ればかりが詰まっていた。BL大好きな仲間もいたけれど、当時はあまり時代が追いついていなかったように思う。

けれども4コママンガや16ページのストーリーマンガを完成させる仲間たちに比べ自分はいつまでたっても完成品を作ることができなかった。だから小さなイラストばかり描いていたのだけれど、そのイラストがうまいというわけでもなかった。絵って瞬間的に「うまい」か「そうでもない」かがわかってしまう。そしてわたしは「そうでもない」方だった。たぶん、視覚情報をキャッチして正確にトレースする力に欠けているのだろう。


高校を卒業したら同人仲間はそれぞれの進路に散り散りになり、同人誌も消滅した。いや、きっと残って描いていた人はいたと思う。ただ自分があの仲間から撤退したのだ。絵を描くのは今でも好きだけれどやっぱりデッサンは大幅に狂う。あくまで自己流な上に見たものをそのまま描くという能力に恵まれていないようだ。

だけど同じものが好きな仲間がいて、手を尽くして夢を形にしていたあの頃のことをわたしは忘れないし忘れられない。忘れたくない。自分たちが描いた絵のように、あの頃には星がきらめき花が飛んでいるから。

今はnoteという場所を見つけて文章を書くようになった。文章はイラストよりはマシな気がする(当社比)。これから書き続けているともう少し上手になるだろうか。野やぎさんたちの同人誌を(いいなあ……)と横目で見ながら、文章の洗練をめざそうと改めて思う毎日である。



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