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終焉とか、病気とか、生きることとか

もしかすると、生と死にまつわるちょっと重い話かもしれません。
メンタルが元気なときにお読みくださいね。

長年愛用してきたパジャマを今日も着ようとしたら、襟がすり切れはじめているのに気づいた。それを見た途端、えも言われぬ寂寞とした名前のわからない感情が胸にこみ上げてきた。

こんなになるまで着続けていたんだ、ということだったり
それだけの時間が経ったのだ、ということだったり
そろそろおしまいの時が来たのだ、ということだったり。

そんなことが意識の中でぐるぐるとめぐって、でも今日はそのままパジャマを着た。布地も全体にくたびれてきてはいるが、ほつれた部分もなく、洗えばまたパリッとしていた気がする。

おしまい、というところに心が反応したのかもしれない。

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パジャマは旅行鞄に入れて持ってきた。自宅から実家への旅行である。高齢親の遠距離介護をしてもう数年になる。はじめは家にいて会話を交わしていた母が、やがて会話が成り立たなくなり、目の前にあるティッシュを食べてしまうようになり、そしてとうとう一昨年の大晦日、何度目かの脳梗塞が起きて寝たきりになった。言語中枢の側はやられていないはずだったが、コロナのために施設に見舞いに行けなくなり、それと並行して言葉もあまり出なくなってしまった。使わないと無くなるのだ、機能は。

母よりもっと高齢の父は90歳を超えている。認知症もなく今も自分で食べ、食器を洗い、風呂に入って本を読む。そこはありがたいが、やはり年齢には抗えず身体に不具合があちこち出ている。一緒にいられないのでヘルパーさんや親戚の手も借り何とか孤独にならないよう心がけているが、遠距離なので心許ない。

父しかいない実家に帰ってきて、おさんどんをする。話し相手になる。天気がいいと一緒に散歩に出かける。くたびれたり気力が果てたりして、閉じこもって自分の方が昼寝することもある。その点は実家だから心やすい。

でも昨年、一緒に公園を8000歩あるいた父は、今は杖をつくようになった。杖があると歩きやすいと言う。歩く距離は3000歩になった。少しずつ少しずつ、身体の機能が衰えていくのを感じる。

ありがたいことに介護休暇制度のある職場なので、年間にとれるギリギリまで休みを取って親のところにやってくる。父はとても喜ぶ。母は、今は会いに行けないし、行ったとしても娘がわかるかどうかわからない。そんな中にいるといつも生と死が仲良く並んで座っているような気になる。死が、気持ちにとても近い。人間は生きて生きて死ぬものなんだと教えられているようだ。

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noteを始めたのは2019年だった。きっかけは今までにいろいろ書いてきたけれど、実は父の言葉が胸に刺さって取れなくなり、そのせいで始めた、という理由もある。父があるときこう言ったのだ。

「お父さんね、友だちがいないんだ」

友人のいない人ではない。友人はいた。たくさんいた。そしてみんな死んでしまった。だって父は90だもの。生きていても、もう母のようにあまり言葉を交わせない相手もいる。「友だちがいないんだ。○○さんもこの間亡くなった。10年も後輩だったのに」なんて言葉を聞いたら、その孤独のいかほどかを想像したらたまらなくなった。仕事が溜まっても何度も実家に来ようと思った。

わたしがnoteを始めたのはそれからほどなくだ。誰か言葉を交わせる新しい友人がほしかった。自分より若い、自分より健康で未来のある友人を。自分より先に死んでしまわない友人を。仲良しにならなくてもいい。でもネットのどこかで名前見知りになり、感想を交わし合ったり、時には同じことに笑い合ったりする人がほしかった。幸い、そんな友人は何人かできたように思う。気のせいかもしれないけど。

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父は気力で生きている。寝たきりで経管栄養の母が生きているのが今の父の生きがいのようだ。たとえ面会できなくても。母の葬式を出すまでは自分は死ねないと言っている。施設に入れてもらえた頃に何度か会いに行ったけれど、こうした形で生きていることを母はどう思っているのだろうと想像する。きっといろいろ言いたいことや意思はあるだろうが、もう通じ合える手段が見つからない。

実家にいると、死が、とても近い。

人はみな寿命を持つこと、順番に、いろいろな形で命をまっとうしていくことを身近に感じる。父ともう今はいない人たちの話もたくさんする。祖父、祖母、おじやおば、曾祖父、曾祖母、戦争中の話、父が若い頃に関わった人たちの話。そのうちわたしが物心ついて以降の時代になり、知っている人の名がポツポツ出るようになる。知らない人もたくさんいる。みんな親戚や父の友人知人で、でも皆、今はもういない。

おとなしく命の流れに身を任せるのが賢いのかもしれない。特に、動けない母を思うときそう感じる。けれどわたしたちはどうやったら目の前の人が当座は死なずにすむのか知っているのだ。だから精一杯努力する。その努力がはたして母の気持ちに添っているのかは永遠にわからない。どうしても生きねばと命を燃やすようにがんばる父が正しいのかどうかもわからない。

そういう中で、感染症に気づかれないようこっそり隠れるように実家を往復している。何が正しいのだろう。何が良い方向なのだろうといつも自問する。でも、考えても答えは見つからなくて、今日も老人が食べやすい、消化の良い和食を作り、洗濯をして掃除機をかける。散歩に付き合う。話に付き合う。

唯一の親孝行は、彼らより先に死なないことだと思う。せめてそれだけはがんばらなくては。


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