見出し画像

ブータン旅行記 第1章 したたかな国

旅の前半はティンプーに滞在した。
さすが首都だけあって建物も車も多い。
しかしこの国には信号機がひとつもなく、特に交通量の多いメインストリートの交差点の真ん中では、お巡りさんが手信号で交通整理をしているという一面もある。
開発が始まったばかりの途上国の例にもれず、それまでは考える必要もなかった新たな問題が、ブータンでも次々と出始めている。

私が泊まったのは街のメインストリートから少し路地に入ったところにあるプンツォペルリホテルだ。
ガイドブックにも載っている、なかなか立派なホテルである。
こちらのホテルの部屋は全てツインで広々している。
ブータンはさすが観光を売りにしているだけあって、お湯も正常に出るし、アメニティグッズも思ったよりちゃんと揃っていた。
スタッフには、飛行機のCAと同じ誇り高きホスピタリティを感じたし、とにかくどこに行っても居心地がよい。
観光するには最高の土地だ。

ティンプーの街を歩いていて気付いたのは、ブータン人ぽくない人が多いこと。
サンゲに聞くと、インドやネパールからの出稼ぎ労働者だという。
ブータンは今、都市開発の真っ只中にあるが、注意して見ていると、工事現場にいるのは必ず、茶色い肌で彫りの深い顔をした人々なのである。
サンゲ曰く、ブータン人はブータン建築については心得ているが、現代的なビルの建て方を知らない。
そのため、知識に長けているインドから技術者を呼び、建物を造ってもらっているのだそうだ。
そういう言い方をされると、とても素直で謙虚な気がするが、やりたくない仕事は外注する、という意味にも取れる。
別に外国人の指導者のもとでブータン人が一緒に働いたっていいわけだし。
しかし外から見る限り、そこの線引きはかなりはっきりとなされているようだった。

ブータンでは、国の低所得者のために、政府が賃料の安い住宅をあちこちに建てていた。
外から見る限り、どれも立派なブータン式の建物である。
その一方で、郊外の川べりでは、今にも崩れそうな掘っ立て小屋の集まった小さなスラムのようなものをいくつか見た。
いかにもアジアという雰囲気のそこには、どうやら外国人たちが住んでいるようだった。

ブータンは各国から多くの支援を受けている。
特にインドからの支援は、かなりの額に上るらしい。
それらの支援でもって、学校や病院を造り、しかも国民は医療費も学費もタダなのである。
どうも、うまいことやってるなぁ、という印象を受ける。
ブータンって実は、めちゃくちゃ外交上手な国なんじゃないだろうか。

「私タチノ国ハ発展ノ途中ダカラ、マダマダ自分デ出来ナイコトバカリ。
 皆サンニ助ケテモラッテマス。
 日本カラモタクサンノ援助モラッテ、本当アリガトゴザイマス。」
笑顔で私に頭を下げるサンゲの姿も、どこかしたたかなブータン人の匂いがしないでもない・・・。



ブータンって、もっと衝撃的だと思ってた。
今まで旅したどの土地よりもすごい何かがあるって。
でも、空から見た景色も、地上からの景色も、全部ふつうだった。
一緒だったのだ、日本と。
外国にいるって感じがまるでしなかった。
例えば以前、ブータンと同じチベット文化圏であるインドのラダックに行ったときは、え?!って思った。
ヒマラヤの麓、どこまでも茶色い荒涼とした大地にぽつりぽつりと建つ家。
どうやって暮らしていくの?と思った。
でもブータンは、同じように山の中にぽつぽつと家が建っていても、周囲に緑がある。
水がある。
そうすると、まあなんとかやっていけるのかな、と思ってしまうのだ。
頭で理解してそう結論付けているわけではない。
一瞬で感覚的に、あ、ここは大丈夫、って思うのだ。
水の重要さを、私はどこで学んだんだろう。
人間の本能的なものだろうか。

交差点で交通整理をするおまわりさん。


 


都会では、民族衣装を着ていない人も多い。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?