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ブータン旅行記 第3章 ぶらり途中下車の旅

ブータンでは自分専用の車で自分の好きなペースで観光する。
なので、道中気になった場所があればいつでも立ち止まって、じっくりと見ることができる。
これはとってもありがたいことだ。

パロの道を歩いているとき、遠くに広場が見えた。
長方形の広場には男の人がたくさん集まって何か見ている。
「アーチェリーですネ」サンゲが言った。
ちょうどゲームをしているところだったので、しばし見学することにした。
ブータンではアーチェリーはメジャーなスポーツで、何気にオリンピックにも出ているらしい。

ブータン式のアーチェリーのすごいところは、的までの距離だ。
なんと150メートルもある。
しかも的はえらく小さい。
せいぜい直径50センチくらいではないだろうか。
選手のいる場所あたりから的を見ると、まるで視力検査を受けているみたいな気分になる。
(実際、円のどこかが欠けていたとしても私の視力では判別できない。)

あまりに遠すぎるので、見学するほうも大変。
選手と的とを同時に見ることはもちろんできず、左右に首を振っている間に、見事に矢の行方を見失う。
どこに当たったか全然わからない。
それでも、ブータン人はちゃんと的に当てるのである。
すごいのである。

ちなみに、そんな高度な技術を持っているのに、ブータンはオリンピックではからきし弱いのだそうだ。
その理由は、的が近すぎるから。
返って感覚が狂ってしまうのだろう。
なるほど・・・。

弓道場の横では小さい男の子たちが走り回って遊んでて、めちゃくちゃかわいかった。
私はかわいい男の子が大好きであるので、一緒になって走り回ってみた。
きゃあきゃあ言いながら意味もなく子犬のように追いかけっこをする。
単純なことがひどく楽しくて幸せだった。
 

左端に的が。ブータンの人たちの視力はいかほどなのだろう。


また、ある日は峠に向かう山道で、とうもろこしを路肩で焼いているのを発見した。
何を隠そう、とうもろこしは私の大好物である。
「とうもろこしだー!とうもろこしだー!」としつこく言い続ける私に、サンゲがやれやれという顔で「みんなで食べまショウカ。」と言い、キンガさんが車を止めて買ってくれた。

ブータンのとうもろこしは日本のより一回り小さかった。
高地で育つからだろうか。
パリパリして汁気はあまりないけど甘みは十分にあり、おやつっぽい味がおいしい。

焼きたての香ばしいとうもろこしたち。


食べ終わった芯はサンゲが道端にぽいっと投げ捨てた。
「こういうのは道に捨てていいんデスヨ。プラスチックとかはダメですけどネ。」

ブータンに限らず、多くの途上国のには元々「ゴミ」という概念がない。
自給自足の生活では、全てのものは土に還り、循環するものだからだ。
だから、なんでも道端にぽいぽい放り投げてしまう。
そういう国が急激に開発されて輸入品が入ってくると、プラスチックの袋やペットボトルなんかも、果物の食べかすと同じ感覚で道にほうり投げてしまう。
しかしプラスチックがすぐに土に還るなんてことはもちろんないので、結果、美しい緑の農村のあぜ道にお菓子の袋が散乱している、という事態が起こる。
政府やNGO団体は、こういったことを防ぐため、市民に「ゴミ」という概念を教育する。
対応としてはまことに正しいことなのだが、何かが歪んでしまっているような印象も否めない。
途上国の抱える問題は、どこも似たりよったりなんだろうか。
 
ところで私がブータンで見たかったもののひとつに、伝統技芸院という場所があった。
その名の通り、ブータンの伝統工芸を学ぶための学校である。
しかし私の滞在中、ちょうど技芸院は夏休みで、見学することができなかった。
そのことを残念に思っていると、ある日の道中、サンゲがカフェに寄ろうと言い出した。

峠の上にある、晴れていればヒマラヤを一望できるはずの、しかし今は雨季であるので辺り一面に立ちこめる霧で景色がまったく見えないカフェに入って、心の目でヒマラヤ山脈を感じつつ温かいバター茶を飲んだ。
バター茶というのはチベット文化圏の人々のポピュラーなお茶で、お湯にバターを溶かしただけみたいな味の飲み物である。
お茶、という言い方が正しいのかどうかもちょっとあやしい。
高地に住む人々は乳製品でたんぱく質や脂質を摂取するのだが、バター茶はその代表的なものだ。
かなり脂っこく癖があり、人によっては全然飲めないと言うが、不思議と私はこれが好きで、ぐびっと飲めてしまうのであった。
トウガラシにもだんだん慣れてきたし、これは自分はブータンで暮らしていけるかもしれない、とひそかに私は自信をつけた。
しかしこのバター茶、今の若い人や子どもはあんまり飲まないらしい。
ブータンでも食の欧米化が起こっているのだろうか。

カフェの隣にはガラス張りの部屋があり、中高生くらいの子たちが床に座って熱心に作業をしていた。
どうやら刺繍を刺しているらしい。
サンゲが部屋のドアを開けて、なかにずかずかと入っていった。
近くにいた子になにやら話しかけて、私を手招きする。
「技芸院は行けマセンけど、これがブータン刺繍デス。」

私はその心遣いがとてもうれしかった。
そういえば彼は、私が技芸院に行けないと知ってがっかりした後、何度もどこかに電話をして話し込んでいたのだが、ひょっとしてこういう場所を探してくれていたのかもしれない。

彼らは、ものすごく大きな布にものすごく細かい刺繍をしている。
黙々と作業に没頭する子達は、顔をあげて私と目が合うと、照れたように笑う。

これひとつを仕上げるのに、どれほどの手間と時間がかかるのだろう。素晴らしい芸術品。


 
 
幸せだなあってしみじみ思った。
サンゲとキンガさんに守られて、いろんなところを周るこの時間。
全てを忘れてただ目の前のことに夢中になって、ワクワクしている時間。
それは本当にかけがえのないものだ。
この国のことなんて、まだまだ知らないことだらけなのに。
ほとんどの人と、まだ何も話していないのに。
それでも実際にこの国の大地に立って空気に触れて人々の言葉を聴いていると、
それだけで何か、わかったような気になってしまっている。
全然わかってないけれど、まだ何も知らないけれど、この国が好きだなと思う。
穏やかに、静かに、この国の声を聴いている。
信仰深く誇り高き、この国の人々を見ている。
 

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