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次の病院のときにカンペとして持って行く予定のやつをちょっと改ざんした文(外で働くADHD者のこと)

 お肉屋さんのバイトを始めて1ヶ月ほど経ちました。
 久しぶりに外に働きに出て、別の視点から自分のことがよく見えたような気がしました。
「誰にでも出来るようなことがなかなか出来なくて、逆に誰にでも出来るわけじゃないことがすぐに出来る」という自分の姿に気づきました。

 たとえば、「お客さんにお肉を提供したあとは、残りのお肉にきれいにラップをかけておく」「使った台はきれいに片付ける」という誰にでも出来るはずのことがすぐ抜け落ちて、ちょくちょく注意を受けてしまう。手先も不器用で、お肉を上手に盛り付けることができていない。
 かわりに、「PhotoshopやIllustratorを操作してチラシやWeb用の画像を作る」「WordPress(ウェブサイト構築のためのツール)を使ってブログを更新する」「ECサイトの受注状況を見る」「パソコンで配達伝票を作る」などに関しては理解していて作業も速い(ケアレスミスはあるけど)、といったことです。

 先輩のみなさんから見ると、たぶん「なんでコレができるのにアレができないのか」と頭痛の種になっているような気もしますが、それを察して萎縮してしまうと私の場合ほんとうにダメになるので、「抜け落ちているのではなく、習得に時間がかかるのだ」という説を信じて、ゆっくり覚えていこうと思っています。

 出来ないことはさて置いて、明るい面の話をすると、ねじろの運営を通して自分がだいぶレベルアップしていたことに気づきました。
 ねじろはかなり小さいながらも一応は「店舗経営」の端くれでしたので、「アルバイトとして作業ひとつひとつを覚える」というよりも、経営者の方が何をどのようにされたいのか、話を聞いてある程度全体像を理解して「こうかな?」と動くことが出来るようになっていました。

 チラシ作りであったり、LINEのオフィシャルアカウントの運用であったり、ブログ更新(SEO対策)であったり、ECサイトの運営であったり、そのひとつひとつが小規模ながらねじろで経験したことのある内容でしたから、早い段階で最低限は飲み込むことができました。
 それはそれで、また先輩方に「なんでチラシ制作やら何やらややこしいことができるのにラップかけがいつまで経ってもできないのか」と首をかしげさせてしまう一因になったかと思いますが……。

 私は、「普通の域に達したい」「周りの人の期待に応えたい」と強く願っていたのですが、その実、どこから見ても完璧なスーパーマンになりたがっていたのかもしれないと思いました。
 誰しも得手・不得手はあるものですし、私はADHD者なので多少それが激しいところはあるものの、デジタル関係の仕事が難なくこなせる点は「手先が不器用」「ルーチン化するまでは抜け・漏れが多い」という点を考えてもおつりが来る財産なのではないかと感じました。

幸いその点を重んじてくださる職場でしたから、できないところはじっくりと取り組んでできるようにしていき、できる部分に関しては「できないところ」を気にして萎縮せず、大いに発揮していきたいと思っています。それがやがて周りのためになる、と信じることにします。

 こうして、自分についてネガティブになりすぎずに客観的に考えることができるのは、うつ病の部分が落ち着いている証拠だと思います。
 無理をしたらまた再発していくとは思うので、休みを必ず確保しつつ、ちょっとゆるすぎるかなと思うぐらいのペースで動いていければと思っています。

そんな感じのことを次回の診察で報告しようと思っている、という記事です。

また。

くれるものはなんでももらうわたくしでございます。