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【美術展レポ】野生のエネルギーが感覚をゆさぶる 鴻池朋子ちゅうがえり展

アーティゾン美術館にて開催された「ジャム・セッション 石橋財団コレクション × 鴻池朋子 鴻池朋子 ちゅうがえり」展にいった感想です。

とても良かったです。「皮トンビ」という大作を見てみたい!と軽い気持ちで向かったのですが、あらゆる角度から自分の感覚や考え方を揺さぶってくるような、凄みのある展覧会でした。

(会期2020年6月23日[火] – 10月25日[日] です。だいぶ前の記事で恐縮です。。)

・とつぜん野生の勘が芽生える

会場に入った瞬間、「何かが潜んでいる。しかもたくさん。」という直感が走ります。普段見にいく展覧会では味わったことのない感覚。得体のしれない何かの気配に怯えて緊張が走ります。なんなんだこれは。

順路はありません。自由に見て回って大丈夫なのですが、「特に入り口入ってすぐの右側は行ってはいけない気がする」と胸騒ぎがして、どう見ていけばよいものかと立ち止まってしまいます。

とりあえず視界が開けている箇所に足が向きます。安全そうだから。しかも小さめで「これなら手懐けられそう」といった作品の方へ。

↑安全そうだと思った作品。RPGに出てくる地図風の絵。

後から知りましたが、鴻池朋子さんの作品には動物の皮がよく使われています。皮って生き物の気配が残るものなんですね。皮を使った作品は、野性の勘でとりあえず避けてたみたいです。草食動物的な動き方ですね、これ。

年齢・性別ごとの観客の導線データが見てみたい!私と同じように視界が開けたところから見てる人結構多いんじゃないかな。でも百戦錬磨の猟師とかだったら怖そうな気配のする箇所にもズンズン進んでいくのかしら。

・大きな大きな皮トンビ

さんざん遠回りしてから、目的だった皮トンビの方へ。そろそろ会場の雰囲気に慣れてきました。

牛皮を縫い合わせて作った、幅12m高さ4mという大きな作品です。

「瀬戸内国際芸術祭2019」で発表された後、約1年間山に野ざらしで設置されたものをキレイにして持ってきたようです。経年変化で風格が出ています。

が、一旦クリーニングされているからか、野性的な凄みみたいなものが少し削ぎ落とされた雰囲気でした。実際に山の中でクモの巣いっぱいついたところを見てみたかったな。

・「不思議の国のアリス症候群」?

大きな顔シリーズ。自然の風景のジオラマの中に小人がたくさんいて、その下から子供のような顔が覗いています。その顔を、私が覗き込んでいます。
ミニチュア大好きなので、初めはワクワクしながら鑑賞していました。

「ジオラマの中の小人は、大きな顔の存在を知覚できないんだろうな」
「でもこの大きな顔も、私が覗き込んでいることに気づいてないだろうな」
などと巨人になったような気持ちで覗き込んでいると、

「あれ、実は気づいていないだけで、私自身も知覚できない何かに覗き込まれているかもしれない…?」

と考えて怖くなりました。
可愛い見た目なのに、自分の存在の大きさがあやふやになる、恐るべき作品でした。油断した。

もう一つ、自分の大きさが分からなくなる作品がコレ。
ユーモラスな動物たちの切り絵が、車輪に取り付けられてゆっくり回転します。
さっきまで小さかった可愛い影絵たちが、回転することで大きな影となってこちらへ迫ってくる。怖い童話の世界に潜り込んだみたい。

ひたすら見下ろしたり見上げたりを繰り返すうちに、だんだん自分の存在が曖昧になっていきます。クセになる怖さ。

・分け入っても 分け入っても 皮、皮、皮

いいかげん初めに「行ってはいけない」と直感した場所に行ってみようと思いました。
正体は「オオカミの皮カーテン」でした!

怖すぎる。

廊下にズラっとぶら下がるオオカミたち。本物の狼の皮です。
ふわふわとした毛皮の感触を感じながら前に進みます。

毛皮のコートなど製品化されたものから、生き物の存在を感じることは普段あまりないのではないでしょうか?
でもこういう形で提示されると、野を駆け回っていた姿がありありと想像できてしまい、同じ毛皮なのに生きていたものの痕跡を感じずにはいられません。

奥にいる女子大生たちはしきりに「怖い、本物じゃないよね?」と言って引きつっていました。

・壮大な自然の荒々しさを感じる大きな絵

生き物や自然の風景がぎっしりと詰まった、生命力に満ち溢れる壁画。大きな木の板を彫って作られた作品です。雷鳴の轟きが聞こえてきそうなほど、迫力たっぷり。
削って引っ掻いて傷をつける。行為自体は削ぎ落としていく作業のはずなのに、それによって荒々しさが増しています。面白い。

縦横無尽に走り回る雷を目で追っていくと、様々なモノに出くわします。荘厳な山々、血管のように流れる川、力強い動物たち。
しばらく口を開けて見入ってしまいました。

・痛恨のミス。スカートを履いてはいけなかった。

会場の真ん中にはなんと滑り台があります。ぐるっとスロープを上り、思い切って滑ると、襖絵に囲まれた空間にポーンと降り立ちます。突然投げ出され呆然としていると、圧倒的な自然の中に一人取り残されたような気持ちになります。

という妄想をしながら、襖絵を見ていました。実際は滑っていません。その日下ろしたてのワンピースを着て行ってしまい、「糸がほつれたり、スカート捲れたりしたらヤダな」と、本当にしょうもないことを考えて断念しました。無念すぎます。

せっかく展覧会の世界観に浸っていたのに、急につまらない思考で現実世界に引き戻され、本当に残念でした。今度から美術館行くときはズボン履こう。

・ほっこり系の小さな作品たち

大きな作品が続きましたが、会場のそこかしこに小さいサイズの可愛らしい作品があり、気持ちを和らげてくれました。

↑キラキラのミラーボールのような山のオブジェ。後ろに回り込むと鼻と口が生えていることを発見。可愛い。

↑もののけ姫のこだまのような、小さな生き物?精霊?たち。
とても愛らしいけれど、迂闊に触ってはいけないような神聖な雰囲気も漂っていました。

・まとめ

まだまだ魅力的な作品が沢山ありました。
鴻池さんが雪山で首まで埋まり、ドラえもんの歌を熱唱する動画には衝撃を受けましたし、
様々な人の個人的な物語を絵にし、手芸でランチョンマットに仕立てた作品には、語られない幾つもの物語がこの世界には存在していることに気づかされました。

全ての作品に共通するのは「生き物・自然・人間にまつわるものである」ということです。
綺麗なだけじゃない、じっとりとした生き物臭さ、大きすぎるが故に時に残忍な自然。それに対して人間はどう感じるか、どう対峙するかを自分の体を以て体験できる展覧会でした。

通常の美術展だったら、「作品を見る」→「自分に巻き起こる気持ちや絵の背景について考える」というプロセスを踏み、「アート対わたし」という感覚なんですが、
今回は「作品を見る」→「作品に自分が吸い込まれる」→「自分に戻ってくる」という感覚を体験するような展覧会でした。作品の中に自分が入り込むような仕掛けがなされていて、作品を通して自分と作品の中を行ったり来たりする感覚というか。

「普段の自分の知覚の仕方は、絶対ではない。」と、モノの見方を鮮やかにちゅうがえりさせてくれた展覧会でした。
また個展があったら是非行きたいです。

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