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催眠・身体性・セラピーとヨガの融合

■ セラピーに興味を持ったキッカケ

私はヨガ講師歴6年です。

ある時、いつもの自分が教えている夜のリラックス向けのヨガクラスの中で、生徒さんに呼吸法の指導をしていました。すると、ある生徒さんの心が、バンバンと開いてしまい、泣き出してしまう方が現れたのです…。

正直、とまどい、まだ未熟だったので、どうして差し上げるのがいいのか分かりませんでした…。

分かりにくいかと思うので説明すると、ヨガの呼吸法は、なにか魔法のようなミステリアスなものがあるのではなく、呼吸法として呼吸だけを練習する時間をクラスの中に短く取ります。

アーサナ(ポーズ)中は、呼吸は自然呼吸です。

呼吸法の練習で、呼吸だけに集中する場合、ブラマーリ、片鼻呼吸、カパラバディ(火の呼吸)の3つが、主要な呼吸法で、順に、大雑把に言えば、副交感神経優位、両方、交感神経優位、と導くものです。一般に吸う息(交感神経)、吐く息(副交感神経)です。止息などのそれ以上の呼吸法は、精神をかく乱するなどして、危険なので、一般的には、エキスパートの分野でしか使わないのです。

私は、この呼吸法に加えて、バレエの世界で教わった背中側に呼吸を入れる、というのを生徒さんにその時は指導していました…。これは、ヨガの正式な呼吸法で教わる方法ではなく、完全に私の経験からのアレンジなのですが…、リラックス効果のあることが分かっていました。

バレエでは、背中のほうに呼吸を入れることで、胸を広げても、肩が上がらないようにするのです。いわゆる胸式、腹式という区分ではなく、横隔膜を使います。お腹に入れると丹田が緩んで踊れなくなりますし、胸に入れる一般の胸式呼吸では、肩が上がって美しくないだけでなく、交感神経優位になってしまいます。呼吸し続けないことには踊れませんし。それで、背中なのですが、これが昨今OLさんたちは、PCワークで、肩がすくんでしまっている人が多く、背中の側に入れることで、肩を持ち上げずに、リラックスして呼吸をできる練習になる、と思ったんですね…。

呼吸によるリラックス効果も狙っていました。体幹が動かず、固まっている人が多いのです。コリがあると、いくらアーサナしてもリラックス効果が出なかったりもします。

やり方は簡単で、上半身はリラックスした状態で、体操座りになり、足を抱きかかえます。前胸を広げないように気を付けながら、背中の肩甲骨の下あたりの皮膚が広がるような息の入れ方をします。膝を抱えて胸を押さえるのは、後ろに入れることを分かりやすくするためで、慣れれば、普通に安楽座で構いません。肋骨のあたりに手を当てるのも、入れる場所が分かりやすいです。(体側して肋骨の間に呼吸を入れるのも同じ効果があります)

さて、そしてその時、私は、生徒さんたちに息を入れる場所を教えるため、「ここよ」というので、皆さんのお背中に手を充てつつ、おひとりおひとり順繰りに回っていたのです。

その時、どうしても背中の緊張が取れない方がおり、”あ、緊張があるな…”と思ったので、ちょうど胸のチャクラの裏側あたりを円を描くように撫でながら、「だいじょうぶ、だいじょうぶ」とお声がけしたのでした…(いつもは、「リラックス、リラックス」とお声がけするのに…)。そこで、なぜか、生徒さんの心が開いてしまい、「だって〇〇なんだもん…」と言いながら、泣きだされてしまったのです(今思えば、幼児退行)。

私は、たぶん、何らかの催眠を、自分では気が付かずに生徒さんにかけてしまったみたいでした。ヨガの先生役は頼れる人(お母さん?)の役割だからかもしれません。

その時は、驚いたものの、薄暗く、照明をダウンしていたこともあって、戸惑いながらも、申し訳なく思いながらも、「では、続きをしましょう…」と全体のヨガセッションに戻りました。というか、他の生徒さんもおられるので、戻らざるを得ませんでした。

あの時、何か私にスキルがあれば…。

その”事件”以来、私にセラピストの能力があれば、あの生徒さんには、本当の意味での、AnxietyReliefe(不安の解消)が、できたのかもしれない…と思ったのでした…。

■ エリクソン・カンファレンス2023に参加して

エリクソン・カンファレンスというのが、昨日今日とOnline開催され、たった1時間前に終わったところです。今回の会で、

 心と体のつながりが心理療法に生かせるのでは…?

という私の疑念は、確信に変わりました。

心と体のつながりから、心にアプローチする方法論を総称して、ソマティックアプローチと言いますが、心理療法の療法家の側は、ソマティックアプローチに熱心ですが、逆に、体を扱うプロの側…例えば、私の良く知る業界では、クライミング界…などは、いまだに昔流の”スポコン”が主流で、その意味は、”体の声の無視”だったりします。どちらかというと、心理療法家の片思い、な感じです。

ヨガは、決してスポーツではないですが、ヨガの業界でも、”こころとからだをつなぐ”ということは、大抵はお留守になっているというか、結局のところ、人気を得るための掛け声にすぎず、インストラクターは一人一人の生徒さんの体に向き合うより、大スタジオで大勢の生徒さんにポーズを見せる役だったり、発破をかけたり、アーサナを個人に合わせて考えるよりも、すでに出来上がったシーケンスを再生するテープレコーダー役みたいになってしまっています…。結果、見た目が大事で、ヨガの効果というものは、生徒さんは受け取り損ねている…。とても残念なことですが…。

特にヨガでもインストラクターたちの上級者の世界は、実は、非常に怪我が多く、関節を痛めていても、プラクティスを休んではダメ!という伝統の世界で、体を壊して去っていく人も後を絶ちません…。(整体院の先生たちは実態に詳しいですよ)

さらに言えば、少々虐待的なこと…痛みがあっても我慢してやる美徳とか、アジャストで難しいアーサナに瞬時に入れる技を持つ方が上とか、そういうメンタリティが主流であり、現代医学で評価されているセラピー的な側面を受け取り損ねている、というところが無きにしも非ずです。

■ ソマティックな心理セッション

今回のエリクソニアンの先生たちの流れの中では、太極拳のメソッドを取り入れたWei Kai Hung先生のアプローチが、かなりヨガクラスの設計に流用できるのではないか?と思いました。

また、Lilian先生のセッションも、アタッチメント理論とエリクソニアンの融合という見方もできますが、体のどこに塊や硬さを感じるか?などの感じから、心理的葛藤の所在を探るのが、体を心のガイド(先導)にする、と言う意味で、ある意味ヨガ的だと思いました。

大御所のジェフリー・ザイク先生とスティーブ・ギリガン先生のセッションも、シンボルとして身体性を使った部分があり、伝統的な心理セッションにも体が用いられつつある、有効性がはっきりしているのだ、と確信しました。

■ 体のパーツと感情

実は、心と体の関係では、

『自分を愛して!病気と不調があなたに伝える<からだ>からのメッセージ』(リズ・ブルボー著)

を長年愛読して、生徒さんの目に見える体の不調…例:アキレス腱断裂…などが、どのような秘められた心の問題とつながっているのかな…と発想していました。

しかし、特定の箇所が特定の痛みとつながっている…例:アキレス腱断裂=自分の力を誇示しようとしている…のというのは、少々乱暴なようで、体のどこに何の感情が現れるか?は個人によって、どうも違うようです。

もちろん、”首が回らない”(=借金苦)という慣用表現があるくらいなので、文化的シンボリズムによって、多くの人に同じような症状で同じような心の傷があるということは起こりうるのかもしれません。

どうも場所と感情の呼応は、かならずしも、すべての人に共通ではないらしい…ということは、PCRTというカイロプラクティックの先生から施術を受けて分かりました。私の腰の痛みは、全く思ってもいなかった、忘れた心の傷によりました。これは消去には、アクティベータという機械で具体的に刺激を入れます。

例えば、危険に対する反応では、大脳辺縁系が、戦うか?逃げるか?反応を一度起こすと、その記憶によって、二度目以降は、些細な危険でも、ホルモン系や神経系に誤作動…繊細さ…を生じさせるみたいなんですね。特に強烈な経験によって、トラウマになっていると、定型反応になっているかもしれません。こうなると、自分ではコントロールできない自動的な条件反射です。

強烈さの受け取り方は個人差があるので、誰が見てもトラウマというような戦争体験やレイプなどの生死がかかわるものではなくても、本人の受け取り用によっては、条件反射による身体反応が継続的に起こる場合もあります。レモンを見れば、つばが出るようなことですが、繰り返しが継続すれば、慢性症状ですよね。自己免疫疾患などの人に多いような印象です。

もとに戻りますと、リズの本では、結局は、5つの傷(代表的な心の傷=禁止令)に集約されています。日本では、梯谷さんがそれをさらに進め、日本人に多い罪悪感の傷を加えた6つの傷で、自己実現を阻害する感情を解除することで、病気を解消するというセッションをされています。

私も例にもれず、リズの本ではしっくりこなかったので、自分の傷を深く覗いていくと、最大のものは、罪悪感でした。ここでは詳述しませんが、日本人は文化的に、ほかの傷にくらべて罪悪感の傷は、大きな問題なのではないかと思います。

こうした探求の中で、どうも潜在意識が問題だ、前提が問題だ、という核心をつかみ、ひっかかりとなっている個人的な潜在意識を見つけるために、過去世セッションに出たりしました。過去世退行により、潜在意識に罪悪感がある、それがターゲットだと分かったのは、成果がありました。

しかし、セラピストの誘導が、私の内から出てきた解決法を支援する内容というより、セラピストの解決案にクライアントを合意させようとする誘導だったので、合わなさを感じていました。

なんせ、日本人の場合、ほとんどの人の傷が、他者の言うとおりにすることで起きている傷つきがほとんどなのだから、セラピストの言うとおりにすることに、警戒心や抵抗が生まれるのは当然かもしれません。

さて、話を戻しますと、潜在意識は、言い換えれば、発話の中にある”前提”だったりします。言葉の前提とされていることが潜在意識に沈み込んでいるので、盲点のようになっているということです。

■ 複雑性PTSD?

実は、趣味のクライミングをする中で、すっかり忘れて生活に何の支障もなかったトラウマのフラッシュバックという問題が出てきてしまったのです。(生命の危険)

きっかけは、何かが私のスカートのすそを踏んづけているような感じでした。(自己実現欲求の阻害)

今回のカンファレンスに出て、トラウマへの自動反応が、私の場合は他者とのつながりを断って、”一人でいること”に戻ることにしているのですが…それが自己実現欲求の阻害…やろうと思っているのにできない=誰かがスカートのすそを踏んづけていて、前に進めない感じ…になっていることが分かりました。

潜在意識の奥にしまい込まれていた心の傷も、開いてしまうと、その後が大変なのかなぁ…、私はパンドラの箱を開けたのかなぁ…というのが、最近の私の焦点になってきました。

1年半ほど前に、悪性貧血によって、子供時代からある希死念慮を再発したのですが、成人後の症状は久しぶりだったのです。

回復のための研究の結果、アダルトチルドレン起因によるうつ病(希死念慮含む)は、難治療で、長期にわたることが分かりました(私は、筋金入りACでヤングケアラーです)。

よくよく調べてみると、さらに、どうももしかすると、複雑性PTSDではないか?ということも疑い始めてきました…。そこまで込み入っていないことを祈っていますが…。

以上、

 これまでの心と体のつながりの探求

のご報告でした。皆様のご参考になれば幸いです。



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