「麻雀は運のやり取りではなく、身につけた技術を競うゲーム。そして新たなオカルトバスターズ候補は?」鈴木たろう・小林剛対談スペシャル企画(3)
近代麻雀note・Mリーガー対談スペシャル企画。麻雀を、技術を競い合う頭脳スポーツ、パズルゲームとして捉えていきたい二人は、これからの麻雀界がどのようになっていくことを望んでいるのか。もちろん全てが彼らの理想通りになるわけではないが、それでもトッププロとして、できることはあるはずだ。(全3回の3回目/#1、#2へ)
[文・東川亮]
■オカルトを否定するデータ、だが数字は絶対ではない
――お二人は、今後の麻雀界はどのようになっていくとお考えですか。
小林 オカルトは自然と、もう少し減っていくんじゃないかと思います。
たろう そういう空気になってきていますもんね。最近は「オカルトを言ったらちょっと恥ずかしい」という空気になってきている気がする。
小林 麻雀以外の競技に関しても、昔のオカルトは意味がなくて「データではこう」と示されることが増えてきていますよね。
たとえば、野球で長らくセオリーになっていた送りバントですが、最近のデータでは損だということが数字で表されてきています。それは野球に限ったことではなく、他の競技でも統計によって昔から信じられてきたセオリーが変わってきていることもありますし、かつてはびこっていた精神論みたいなことを言う人が少なくなってきていると思うので、麻雀も自然に、もう少し理屈を追求するゲームにはなると思います。
そこに対して我々が何をできるかと言えば、やはりその部分をもっと発信していくしかないでしょうね。
たろう 僕とか剛君は、麻雀をパズルゲームだと思っているんです。もちろん運がかなり大きく介入してくるので、そこを何とかしよう、何とか勝てる方法はないか?と考えている人が多いことは知ってます。
でも僕らは、つまらない言い方かもしれませんが、運が介入するゲームだけど、そこはどうにもできない。だから、身に付けた技術でできる範囲のことをやって、残りを運にゆだねるもの。その技術の競い合うゲームだと考えているんです。
その主張をいろんな形でしてる感じですね。
――そんなたろうさんにとっては、数字に騙されている人が多いことにももどかしさを感じているのですか。
たろう それはある程度しょうがないかもしれないです。数字やデータって説得力あるので。でもそのデータから何を読み取るかはその人次第というか、いろいろな仮説を立ててそのデータを取り入れる力だと思うんです。自分の主張を後押しするためにデータを都合よく使う人もいるので、そこの判断が必要だと思うんです。
数字が好きな人ほど、都合よく切り取られたデータに騙されやすい傾向がある気がして、もどかしいと思う時があります。
小林 僕は、一般の人に数字による考えが広まっていくことはいいことだと思っています。麻雀プロはそれ以上のことをやる必要があるけど、普通に麻雀を楽しんでいる人たちに対しては、「タンヤオドラ1は全部リーチ」が広まったほうがいいような気がします。
数字を気にする人が増えるのは麻雀界としてはいいんじゃないかなと思いますし、我々がそれによって批判されることが増えても、それは別に構いません。
たろう 僕平和のみとかまあまあヤミテンにするし、それで”うまぶり”とか言われんのは、それはちょっと嫌だよ。マジョリティーはリーチをヤミテンにする選択を楽しんでほしいのに。
■麻雀以外の私生活もオカルト否定?
――お二人から見て、オカルトだけど活躍していて強い人、理論がおかしいけど成績を残している、という人はいますか。
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