何者かになるために創作をする人がいるらしいですよ

8/17 曇り
またTwitterでAIを巡って絵描きと生成AIフリークがケンカしている。生成AIの話題は、もうえーわい!笑

どうでもいいことだが、私は絵師という呼び名は「壊死」を連想させて何となく不吉なため、イラストを描く人のことをカジュアルな場では絵描き(さん)と呼ぶようにしている。絵描きの方が語感が美味しそうだから。おかきみたいで。
同様の理由で、AI絵師のことを生成AIフリークと呼ぶようにしている。フレークみたいで美味しそうだし。

画像生成AIの話題を眺めていると、「AI絵師は手軽に何者かになるために生成AIを乱用している」みたいな言説をまあまあの頻度で見かける。個人的には、何者かになるために創作をする、というアイデアがあまりないので、びっくらこいた。
「みんなそんなに何者かになりたいんやろか?」と生成AIコミュニティで吐露すると、「創作で何者かになろうとしている人は結構いる」とか「むしろそれが創作の原動力」とか、そういう答えがぼつぼつ返ってきた。そ、そうなんやろか? 生成AIフリークの言うことは信用ならねえからな。すべての生成AIフリークは嘘つきだ、と生成AIフリークが言った。

私に何者かになりたい願望があまりないのは、学振DC1を取ったときのことが影響しているかもしれない。
3年ほど準備して憧れだった学振DC1に選ばれてさえ、自分という存在の「しょーもなさ」が主観的に変わらなかったのは、かなり大きなショックだった。東大に入学した学生がよく病んでいるのと近いかもしれない。
ざっくり言えば、そういう追い求めていた肩書きを得ても、自分の存在に何の影響も及ぼさなかったのが衝撃だった。高校生のいじめられっ子で偏差値35のバカだった自分と、学振DC1の自分の「しょーもなさ」が変わらない。結局は自分は自分にしかなれないんだな、という実感は、強烈な経験だった。今から振り返ると至極当然のことだと思うのだが。

創作の話に戻すと、私はよく「〇〇がこの世にないなんてもったいねえ」という、もったいない精神でものを作ることが多いように感じる。絶対に面白いことが確定しているのに、それがこの世に存在していないことが惜しいような感覚。
これは小説だろうが論文だろうが、動画・イラスト・AI生成物・アート作品、メディアの形態を問わず共通している源泉だ。もったいない精神に、嫉妬心と承認欲求が隠し味に入っているのが私の創作だ。
だから、この欲望が満たされると、急速にものを作りたい欲求が萎えてしまうことが多い。一つの手法をコツコツ磨くのではなく、突発的に過集中して創作活動をおこない、ある程度目的を達成すると飽きてしまうのは、この性分のせいだろう。
中途半端に身バレを避けているので、それなりにいい線をいった活動の名義が7つくらいある。多分私はもっと承認欲求の怪物になった方がいい。

冷静に考えると、創作を通じて何者かになる、というのがますますよくわからない。
第一に、何者かになるということの基準がわからない。作品が国民的な大ヒットを記録した時でも、動画に「おまどうま」のコメントが打たれた時でも、どちらでも何者かにはなっている気がする。
第二に、創作というのは基本的に既存の要素のコラージュで成り立っている。ジェームス・W・ヤング「アイデアのつくり方」に書いているように、「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない」。Twitterでバズるような創作もYouTuberの動画も、ほとんどが前述のアイデアで作られている。
かくいう自分も、本気でバズらせにいくときはこの世に存在していない売れる要素の組み合わせで勝負を仕掛けることが多い。というか、自覚的にそうしている。
売れる要素をブレインストーミング的に書きまくって、パネル的にそれらの要素を複数個組み合わせる。その組み合わせの中で「これは面白そうだぞ」と感じるものがあれば製作に取り掛かる。そういうワークフローを組むことが多い。
複数人で製作する時も、この基本はそこまで変わらないような気がする。というか、複数人でやる時は味方がいつも優秀すぎて申し訳ない気持ちになっている。

じゃあ「何者かになるって何なのよ」となるが、結局は「理想の自分になりたい」のが大部分を占めていると思うのだ。
綺麗なイラストを描けるようになりたい、人の心を動かせる小説を書きたい、多くの人の目に留まる動画を作りたい。そういう自分になりたい気持ちを「何者かになりたい」と表現しているなら大いに納得できる。

漠然と「何者かになりたい」と考えているなら、それは苦しい。目標のない努力は徒労に終わることが多いし、自分はどこまで行っても大抵は自分のままだから(経験談)。
その一方で、その苦しい思いをすることも、途中で得られる技術だったりいろんなものを考えると、そこまで悪くないかなあ、とも思う。
所詮は兼業創作者の言うことなので、本業創作者がこの葛藤に呑まれると尚更苦しくなるのは想像に難くないが、まあそれは私の口出しできる範囲でもないような気がする。

最近、無事デザイン職に就いたので、本業の苦しみはこれから味合っていく予定だ。
私は私にしかなれないけど、一緒に苦しんでいきましょう。


勉強用に本を買います。