甘酸っぱさを理性で紐解く。
なんとまあ、私は現在いっちょ前に恋愛をしている。まるでback numberの歌詞みたいな、くっつきそうでくっつかない、どっちつかずのもどかしくて甘くドキドキするような期間が、1か月くらい続いている。こんな私がそんな体験をしていいものなのか、なんて思ったりもしてしまうが、まあ、言ってしまえば、非常に楽しいし、これが幸せかって感じなのである。
いっちょ前に恋愛しているんだから、私も頬を染めて恋話するのだってありだ。恥ずかしさの仮面を取って惚気てみるのだってありかもしれない。
もう、ほんと優しすぎるのだ。優しい。最初はそのやさしさに対して何も感じていなかったはずだった。味で例えてみればそれはプレーンだったけれど、自覚してから日を追うごとに甘さが加わっていくからもうダメだ。LINEのそっけない一言も、エスカレーター乗るときにさりげなく後ろに回るところも、ドアを開けて先に通してくれるところも、何も気にせずふらふら歩いていたら車道側に寄ってくれるところも。いちいちそのやさしさに私が溶けてしまいそうになる。課題が終わらずに半ば愚痴のようなLINEを送ったときの「えらい!」にも励まされたし、面白いのかよく分からん私の食のこだわりについてのつらつらとした語りもにこにこリアクションしながら聞いてくれる。こんなことがあってたまるか?
ちょうど1か月前。少し仲良くなり始めた頃から、私の脳内の中ではとあるミーティングが開かれている。議題はずばり、「好きって何?」。
私は齢19にして、ほぼ恋愛経験がない。青くて甘酸っぱい恋を経験するはずの中高生時代の6年間は、とある女子校にてガハガハゲラゲラ笑いながらくだらないことをしてたらいつの間にか終わってた。
そんなこんなで、私の中にある「好き」の定義なんて
①「あ~~!納豆おいしい!納豆大好き!」のような物体に向けられたベクトルの好き
②「今の表情とダンス見た!?この動きマジで好きだわ」のような手の届かないアイドルにベクトルが向けられた好き
の2択しかなかった。同性の友達に対して感じる「好き」はどちらかというと、「安心」と形容したほうが私の中でしっくりくる。身近な異性に対して感じる「好き」の定義は私の辞書にはなかった。
そう、私の中で、「好き」がなにかなんてよく分からなかったのだ。なんとなく好かれている気はするものの、もし仮に自分が好かれているとして何を返せばいいのか分からなかった。なんとなく、「好きかもな、良い感じの人だな」とは思うものの、自分の中で「好き」が定まっていないのに「好き」と返すのはいかがなものなのか。なんだったら、あなたよりもはっきりと好きな男(アイドル)がこの世に存在する中で「好きだよ」と軽率に言うのは抵抗がある、と心が引っかかっていた。
間違いなく人としては好きなのだ。話していて心地いし、居心地のよさしか感じない。あんなに盛り上がって長い時間いても話が尽きないところも相性の良さを感じるし、友達としては最高。じゃあ異性としては?これって女友達に抱く感情と一緒では?あー、恋愛的な好きってなんなのよ。自分の中では結論が付かなかったので、この問題は保留として一応「友達としては好きだけど、恋愛的に好きかは分かりません!」というありきたりな回答で一応落ち着いた。
仲良くなってから1か月ほど。上に書いたようににぼやぼやと考えていたところ、また会う日になった。私は「あそび」だと思っていたが、「またデートしてね」ってLINEが来たので向こうはデートだと思っていたらしい。ここで、「デートとあそびの違いって何……」と頭を悩ませ「デート 定義」と検索してしまうところが自分の理屈っぽさ発揮してんな~と思ったけれど、Googleさんからは「どちらかがデートだと思えばデート」という答えが返ってきたので、デートということにしておこう。
私の地元の某デートスポットでご飯食べてお散歩してイルミネーションと夜景みた。どう考えても傍から見たらカップルの装いでデートスポットをぶらぶらしてて、それはもう楽しかった。私が小籠包の汁をぶっ飛ばして笑われたり、小さいころに育てたミニトマトの話でだいぶ盛り上がったり、ガチャガチャを回してワクワクしたり、たっかい家具屋さんで値段が7桁の家具を見つけて驚きそそくさとお店から出たり。楽しさを共有するってすごい良い。とにかく楽しい。ずっと楽しい。帰る駅が違ったのに「もうちょっと話したいから私もそっち行く」なんてつい口走って、遠回りになる駅から帰ったくらいには、だいぶ浮かれていた。
一緒にいる時は楽しいな、くらいしか思わなかったのに、いざ家に帰ってひとり一日のことを思い出してると、それは急に来た。
「やばい、好きかも」「会いたいって思っちゃう」
あんなにたくさんの会議を脳内で開いてぐつぐつ討論してたのに、あの時間が何だったのかと思うほどあっという間に結論が出てしまった。なんか、もう、ドンって落とされた。沼に。突然。
それからはすべてにフィルターがかかったみたいに、その日のことを思い出してはにやにやしちゃうし、いちいちLINEが送られてくるたびに舞い上がっちゃうし、ひたすらにたのしい。良いところばかり目につくし、ときめくし、ここはちょっとな~って思ってたところすら、なんかいいかもな?なんて思えてくる。盲目だ。恐ろしい。
結局、恋愛感情なんて理屈で語ろうとする方が間違ってるのかもしれない。理屈っぽく根拠を並べて、「○○だったら好き」とか「○○だったら好きじゃない」とか、そんなものではない。急に突然気付かないうちに降ってくるものっぽいのだ。少なくとも私においては恋愛感情というものはそういうものらしい。一つの学びだ。
ついでに、降ってきたこの感情を理屈で紐解きたくなった。ということで再び脳内のミニわたしを招集して脳内会議を開き、自分が抱いている気持ちが果たしてどんなものなのか分析してみた。
まず、この新しい概念「好き」は今まで私のなかにあった2つの好きのどちらかに分類されるものなのだろうか。
今までの自分が持っていた「好き」の感情を再掲すると以下の2つである。
①「あ~~!納豆おいしい!納豆大好き!」のような物体に向けられたベクトルの好き
②「今の表情とダンス見た!?この動きマジで好きだわ」のような手の届かないアイドルにベクトルが向けられた好き
突然降ってきた未知の感情、たぶんどっちにも当てはまらない。彼は人間であるため①では完全にないし、②ともちょっと違う。推しへの「好き」と、付き合いたいの「好き」って本当に違う、別物。そしてそれは両立可能であるという発見もした。この世には「一方的に見ていたい好き」と「一緒にいて楽しい」の好きの2種類があるんだなって。
だから、この日、私の中で「好き」には新しいジャンルが生まれたのだと思う。
さて、恋愛感情っぽいものを自覚したところで、これからどうするのかは決まっていない。いっちょ前にここまで文章を書いてきたが、まだ付き合ってないし、私は飄々とLINEしているだけなのだ。向こうが私の気持ちをどう解釈しているのかも私は良く分からない。
好きの定義は分からなかったけれど、自分の好きに向き合い続けるオタクを数年やっている私は、自分の「好き」がいかなるものなのか、どうコントロールすべきなのかを考えてきた。なので、どうやったら長い間一人の人を好きでいられるかに対して、自分のことを比較的良く分かっているほうであると思う。未知の感情にそれらのノウハウがどう生きるのかは謎だが、できるだけこの心にある甘酸っぱさを持続させていきたいな、なんて思うのである。
おわり。
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