昭和のgifted
最近ようやく「ギフテッド」っていう言葉が日本でも認識されつつあるらしい。
こういうキーワードって「キーワード」として表明された瞬間にそのキーワードに群がる人たちが現れて「我こそはギフテッド…!」と個人の主張や個々の思いをぶちまけて偽ギフテッドが声高らかに情報の海を駆け巡る。
このギフテッドについてのwikiは自分に当てはまっている、とか、統計的にギフテッドといわれる表現に近いと言われた、とか。
でも結局のところ「凡人」が定義しようとしている範疇に収まりどころを見つけて安心したがっているようにしか思えなくて、私自身自分がギフテッドかどうかなんてわからないんだけど、自身に起こった可能性のかけらを残した方が良いかもしれないと思い筆を取ることにした。
このインターネットメディアが席巻する時代に「筆を取る」なんて表現は間違っている気もするがそういう文脈を楽しんでくれる人がいれば幸いだ。
忘れもしない震災があった2011年、当時お付き合いしていた人の紹介で転職話があった。話を進めているうちに怪しい雲行きを感じてフリーランスとしてその他の案件確保に動くも“都内は震災の直撃を受けていない“からなんの補償も補助もなかった。
信頼したかった人にも突き放され、頼れる人もなく、人どこらか国すら頼りにならない状況で、このまま死ぬかもしれないと思った時、泣きじゃくりすぎてティッシュまみれになった布団まわりと、そこかしこに山積してるコンビニエロ本に囲まれた状態で「単身上京した娘の死んだ部屋」に突入したときの親のことが頭によぎり、さすがにあんまりにもあんまりすぎる…とせめて死ぬのなら身辺整理をしてからでないと、と部屋の片付けを始めてメンタルが戻り今のいままで生きていられることになった。
私がギフテッドかどうかはさておき「一般的ではない」タイプなのかもしれないと自覚できるようになったのはそれから7年がすぎた2018年の頃。
2011年に泣きじゃくった日々は過呼吸を日常にし、それ以降でも事あるごとに私は救急搬送される自体に遭遇した。
いよいよ何かおかしいのかもしれないと思って足を運んだ心療内科での質疑応答に精神科医の先生があまりにも心配だから、と光ポトグラフィー検索を受けるように勧めてくれた。
検査の結局診療内科の先生との検査結果報告とそれにともなうカウンセリングの話を聴いて私はそれまで以上にたくさんのことを諦めた。先生曰くこういう内容だったのは衝撃すぎて今もなお私の中に突き刺さっている。
「検索結果ででてる脳波を表示してる人は、あなたみたいに理論的に会話を組み立てることができないはずなの。日本ではまだまだ研究が進んでないから病名をつけることはできないんだけど、あなたは多分IQがすごく高いと思うのね。そういう人にいくらカウンセリングと称して話をしてもあなたの納得のいく回答や共感はしてあげられない。私たちができることは凡人の発想を超えない範疇でしか話を聴いてあげるしかないんだけど、カウンセリングを受けてみますか?」
私自身特段IQが高いつもりもなかったし、なんならむしろ「普通の人が当たり前にやってることをなんでできないの?」と親に散々言われて歪みに歪んだ大人になったと思っていたから「共感してもらえなくても仕方ない」と思えたことは私にとっては生きていくことへの諦めがついてずいぶんと生きやすくなった。
政府の政策も、wikiの情報も、所詮「凡人」の想像の範疇で決められた枠組みでしか語られない「ギフテッド」なんだとしたら生きづらい人が生きやすくなるはずなんてことはなく、キーワードが一人歩きした先の「認めて欲しい人が振りかざす承認欲求のためのキーワード」になりそうな気がして、ただ優しすぎて正義感が強すぎるだけの「普通」であろうとする人たちに寄り添える未来には程遠い現実に直面しそうな気がしたので、私の場合のケーススタディを記録してみた。
世間で定義される「ギフテッド」という人々は本来ただただ感受性が高く、自分を律する思いが強く、だからこそ愚直でのめり込みやすく、共感や理解がえられるのであれば悲観や嫉妬することもなく優しい気持ちで様々なことをアウトプットしていけるタイプの人のことを刺していて欲しいと、人の輪に受け入れてもらえず僻みや嫉妬にまみれた大人になってしまってすら性善説に基づいた行動しかとれない私は思ってしまった。
信憑性をもたせるためにはもっとこれまでの出来事や複雑に絡んでいたであろう背景の説明も必要だと思うので、また折に触れて書く機会があれば書こうと思う。
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