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昭和のgifted - 69 『なぜ生きるんだ』

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『なぜ生きるんだ』

学生時代に読んだ坂口安吾の本の名前だ。

大学の時に仲の良かった先輩が坂口安吾が大好きで、なんか坂口安吾の作品に触れていたら格好良いのかもとか思って読んでみたのがきっかけでなんとなく今でも「好きな作家は?」と聞かれると名前を挙げる人である。

すごく影響を受けた。

と言う訳ではなくて、「なんかわかるわ」という感覚だったような気がする。

「影響を受ける」って、「そのタイミングで自分の価値観ががらりと変わる」みたいなイメージなんだけど、これまでいろんな価値観が"がらりと変わる"ことがあっても"誰かになにかを言われて"というよりも自分で問答をして「変えよう」って思って変えてきたことの方がほとんどだった気がする。

特に厨二病から抜け出せていなかったモラトリアム期間は『堕落論』の一節も気持ちはわかるがやや違う感想が湧き出たりして「昔記憶に残った作品に時を経て改めて向き合ったときに感想が変わっているのは自己の成長」みたいなやっすい感動があったりもする。

なんでみんな生きてるんだろうね。

多分動物とかって生きてる意味とか考えてない(言語化できない)だろうから単純に種の保存的な生存戦略の元に本能的に生きている。

ただ人間はより生存戦略を効率化するために知恵とか言語を手に入れた。

より洗練された効率厨とかが現れて宗教とか倫理観とか"規範"を作った。

なんでかわからないけれど、生まれてきたからには生きないといけない訳で、種の保存と反映を本能で捉えるために生きてる意味をつくった方が良いんだろうという発想を、どこかの時代の誰かが思いついたんだ。

「死ぬのは良くないこと」

恐らくそこから導きだされた最適解が

「幸せになるために生まれてきた」

なような気がする。

そうでないと知恵と倫理観を手に入れてしまった人類が種の保存を放棄してしまうから。

そうまでして進化を強要してくる要因ってなんなんだろ。

考えるのをやめたくて、神様のせいにする。

そうしてできあがった偶像に、今日も翻弄されて私たちは生きないといけないんだなぁ。

この後何が起きるの?ギフテッドの存在意義って宇宙人と戦争してその先に人類が生き残るためのコマでしかないのかな。そうして残るものには一体どんな意味があるんだろう。

そんなこと考えてたらなんだか全部バカ馬鹿しくなって、私も自分本意に生きようと思って今に至る。

感情を認識してしまった人類は、相手のことを思いやったり変な風に気を回したりしてしまうこともあるんだろうけど、その気遣いが相手のためになるかと言うとそうではない。

ただ中には以心伝心かなと思うくらいぴったりとハマる人がいることも私は知っているので、これからはそうした相手探しの旅をしているんだけど、どこに行ったらみつかるのかなぁ。

つまるところ、知恵とか倫理観なんかどこかの時代の誰かが当時の世相を鑑みて作ったもので、時代や自分の価値観に合ってないのであれば誰がなんと言おうとそんなものに振り回されてまで生きていたいとは思わないよと言う話。

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