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昭和のgifted - 68 なんでも簡単にできるけど

前回のお話しはこちら

ギフテッドは自分は大抵のことはなんでもできるから他の人ができない理由がわからない。って話を読んで、ふと思い起こしてみた。

実際問題、私も高校生になるまではわからなかった。

できない人はやる気とか努力が足りないんだと思ってた。なのですぐ喧嘩になったし、疎まれた。
一方で得意分野のことは教えるのが上手いと言われ、試験勉強は人に教えることでまかなっていた。

大学に入ってバイトを始めて、それまでは時代的に「残れないやつは振り落とす」感じの現場で、なんなく生き残って昇進し続けたし、まわりもそんな人ばっかだったから気にしていなかったが後輩にゆとり世代が入ってくるようになって「頑張ったところで壊滅的にできない(わからない、想像力が足りない)子もいるんだ」とわかった。

まぁ、壊滅的にできない人がいる(言い換えれば理解力が足りない人)と思っていたんだけれど実は全くそうではなく、それが"普通"の人だった。

学校の生活では内容のない会話くらいしかしてなかったし、中学くらいから群れるのら格好悪いと厨二病をこじらせてグループで動くこともなかったし、ひとり仲の良い子がいて、その子と職員室に遊びにいくのがもっぱらだった。

学校行事も頑張ったところでハブられるしと積極的にならなかった結果「ノリで言ってるだけの人たち」がいるくらいにしか思ってなかったのだが、仕事をするようになって「言われたこともできない、やれない人」に出会ってぽかんとなった。

まぁできない、やれないんじゃなくてうっかり忘れちゃうとかやり方がわからないけど聞けないみたいな人がほとんどなので、一度やらかされたら先手を打つようになった。

説明したあとに「わかる?」と聞いたり、やってみてわからなかったら何度でも教えるから気軽に聞くようにとか、優しくしてる訳ではなくただただ効率のことを考えてるだけなのだが、なぜか人気者になった。(そしたら同期に嫌われる)

大原則私は一度話した内容とかほぼほぼ覚えているので(どうでも良いと思ったことは別だが)仕事してて方向性とか決めたフローがブレる意味が全くわからない。

だからといってスーパーウーマンかと言われたら、ルールを守らない奴には苛々するし、規則正しい生活はできないし、忖度も苦手だし、本当のことがわからないのがとにかく苦痛。
そんな癖に世間一般的なモラルとかルールには懐疑的だから厄介だ。

苦手だらけでネガティブな感情に晒されるだけでもしんどくなるのになんでもできると持て囃され、嫉妬される。

できないことがある方がなんでも前向きに挑めてワクワクできると思う。

これしかないと思えるものがある方が真摯に向き合えると思う。

だけどなんでもそれなりにできてしまうが故にルートがわかってしまうし、打ち込めるものがわからなくなる。

随分と社会に適合できるようになったけれどもそれは私にとってストレスとの闘いで、「普通の人」が気にしないで良いレベルのことで苛々が蓄積されてどうしようもなくなる。

開き直れたから良いものの、感情や思考の振れ幅が大きい分、今だってアンバランスだ。

なんでもできるからって、それがやりたいことかと言うと違ったりする。

仕事はまぁ「やりたい事より得意な事」と言うけれどこなせるから得意という訳ではないし、ギフテッドだって人間だからやりたいこともやりたくないことも、好きなことも苦手なことも、求めるものもどうでも良いことも、どっちもある。

だから勝手に決めつけないでほしい。

他にできる人がいないならそれなりに頑張ってやりますよ。

でも、誰かを疎む訳ではないけれど、多様性を叫ぶようになった今、ADHDやHPSの特性のある人は「そういう人だから」と配慮されるようになったものの、特性依存もなくコミニュケーションも卒無くこなしてしまうギフテッドはなかなか気づいてもらえない。(多分)

そうなんだ!って認識してもらえたところで抱えてるものの闇の深さまでは理解されにくい。「ギフテッドだって言われたら納得だわ!」と言われても、だからと言って受け入れてくれる人が増えたことに喜ぶくらいしかできない。

理解してもらえたなら喜べよと思うかもしれないけれど、永遠に満たされないかもしれない哲学に没頭してしまう。

潜在意識と顕在意識、ギフテッドは自分の潜在意識すら把握できてしまうのかもしれない。

全体の平均値を算出して「なんでも(平均以上に)できる」というラベリングは、そうでもない人からすれば羨ましいものかもしれないが苦手なことを押し付けている可能性についても考えてみてもらいたい。

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