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昭和のgifted-67 生きてるうちに成すこと

前回のお話しはこちら

SNSで繋がっているだけの知人が、奥様を亡くして迷走している。最初はちょっと心配、なだけだった。

婚活を始めたり、通常運転な投稿があったり、まぁ思い悩むことは積極的分離の始まりだろうから頑張っておくれよ、と思っていた。

満たされていない状態をどうにか満たそうとしてもがく様を見るとつい過去の自分と重ね合わせてしまう。

だがしかし、頼れる、または気を散らすことができるものをヒトやモノで無理矢理埋めても詮無きこと。ギフテッドは自分の嘘にも気付いてしまうから濁せなくて自力でなんとかするしかないんだけれども「普通」の人は自分を騙すのも上手にできる。

「人に、頼る」というエントリも書きはしたけれどギフテッドたちは「頼ること」が何かを考え「頼る」のだけれども普通に人に頼れる人は特に頼っている自覚なく頼れるものだ。

私と話せたら、会えたら元気になれる人が一定数いる。なので私は頼られてしまう。本当は私こそ誰かに頼りたいと思っているのに頼らせてもらえなかった記憶があるからこそ、頼られると無下にできないし、直接的に頼られなくとも何を言ってどうしてあげれば良いかが分かってしまう。

「なんかありがとう」という主旨の連絡が来たのでこう彼に伝えてみた。

別に死にたきゃ死ねばいいし、無理して生きる必要はないけど、生きてたらいいことあるなって思えるなら生きた分だけまたそう思えるチャンスに巡りあうはずだから頑張ってみるのも良いと思うよ。

私が一番信用しないのは「気に病みすぎだよ」とか「死んじゃだめだよ」と言う人だ。

ただの気休めだと思えない事実と倫理的によからぬであろうことなんか重々承知していて、それでもなお自分の行くべき進路がみつからない。そこまでの感情をどれくらいの人が想像できるんだろう。

「死にたいくらい辛い」という言葉の中にはただどれくらい辛いのかを誇張表現したい場合と、ただ消えてなくなりたいと思う気持ちをわかりやすく伝えるために用いる場合があるような気がする。

どちらにせよ、そんな言葉を発した人は例え満たされてなくとも受け入れられたいんだと思う。

他者を受け入れるって、一体どういうことだろう。

私の母は、私にいつも「愛情たっぷり注いで育てた」とは言うのだけれど、確かに本人にとってはそうなのかもしれないけれど私はずっとダメ出しされてばかりだと思っていた。

自分の顔が嫌いなのも「顔が平たい」と言われてきたせいで目鼻立ちがはっきりしている人が美人だと思ってしまうせいだし、服装にしても「いつまでジーパンにTシャツばっかり着てるの」とフェミニンな格好が好きな母に言われたせいでお洒落な人間だとは思えない。

だけども私の存在が誰かのためになっているみたいなので自分を受け入れてここまでやってきた。

「決めるのは私、選ぶのも私」

と強く思えるようになったのは、母から離れて20年、いろんな自分が本当に楽しいと思うことや辛いと思うことを体験してようやくだ。

あとどれくらい生きるのだろう。

恐らく私の中で今、人生の折り返しらへんな気がしている。そうした中でこれまで仕事は12年頑張ってきたけど、あと40年働くって考えたら全然たいした年数じゃないなって思うし、長いようで短いであろう残りの時間をどう有意義に過ごしていけるかを常に考える。

生きてるうちに成すこと。

40歳を迎えてようやくそういったことを考えるようになった。

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