昭和のgifted - 70 ギリギリの神様
前回のお話しはこちら
仕事がなくなり、デッドオアアライブ。不安と絶望と、そしてこんなタイミングに限ってそれまで上手くいってた人間関係も瓦解したりしていっぱい過呼吸おこしちゃったりするんだけど、もうこれ人生何度目のデッドオアアライブだよ…と呆れてものも言えなくなる。
そして案の定いよいよ限界近いなぁ(資金もメンタルも)となったころ突然の「助けて!!」コールが届く。助けて欲しいのは私の方だ。
困ってる側もいよいよってならないと動かないから私のところに届く頼りはいつも人員も納期もギリギリの案件になりがちなんだが、今回もそうした旧知の仲からのお便りで、契約形態もまだ交渉できてないのに働き始めた。(偉い人と詳細を詰めてる時間がなかったので)
結果だけ見ればちゃんと自分がワクワクできるような仕事が、これまでの繋がりの仲でスコッと落ちてきて首の皮一枚でセーフ!!となるのだが、ここに至るまでに毎回精神的に生死の境を彷徨うので神様がいるんならもう少し私に優しくして欲しい。
「ギリギリの神様に愛されている」
あまりにも何度も起こるので最近はそんなことを言うようになってしまったが、他人が聞いたらよくそれで生きてるなって言われるような人生だ。
前にもちょっと書いたと思うが、写真業を強化するべくなにか下働きなんかがないものかとクリエイティブ界隈の人に相談したりもしてみたが、皆んな口を揃えて「器用なカメラマンにはなるな!作品を作り続けてくれ!」とわりとみんな本気でバックパッカー写真旅暮らしを推してくる。
「そんなに困ってるならうちで働いてみる?」
とかそう言うのがない。木春さんならなんとかするんだろうな〜という謎の信用。そして今仕事何やってるかわかんないんだけど他に思いつかなくて!という謎のオーダー。
私の人生はいつも綱渡りだがいろんな人の夢とか希望とか憧れに塗れている。塗れすぎてて嫉妬や妬みなんてものもくっついてくることもあるのだが、それも含めてギリギリを超えていかないと達成感とか満足感を感じられない性質だからこれに関してはけっこう前に諦めた。
それでも諦めきれていない部分もあったし、今だって悩んだりはするんだけど、わりと俯瞰的な自己理解が進んできたので外向的な自分の役割みたいなものもみえてきた。
どれだけ辛くとも、どれだけしんどくとも、私の存在が誰かの役にたっているのであれば私は日々を楽しく過ごさねばならない。過ごさねばならないというか、そうありたい。
私はあまり人に頼ったり助けてもらえなかったりして今に至るがもうそんな思いはごめんなんだ。
私はギリギリの神様に愛されてるからどんな難題も紙一重でやりこなせるようにできている。そう思った方がくだらなくても悲痛なエピソードにならなくてすむ。
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