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短編小説『性の火葬』

川辺でうずくまり涙する青年。上等なスーツが汚れてしまうことも忘れているのだろう。日が昇り始めたばかりで人通りは全くない。目の前には燃え盛る焚き火。その中では毛の長いウィッグ、女物の下着やドレス、着物が炎に絡み取られ朽ちてゆく。濁った煙が緩く風に吹かれて水面を這った。
「貴巳様、そろそろ消火いたしますか」
その様子を直立不動で見つめていた深緑のスーツの男が抑揚のない声で尋ねる。
「駄目だ。まだだ。KIKAI、お前は燃えゆくものの映像記録だけしていろ。ああ、俺の声入ってしまった。音声は削除しなさい」
青年、貴巳は震える声で人型ロボットに指示を出す。貴巳にとって男性的な口上が身についてきたのは最近の事である。今まで頑なに着なかった男物のスーツを岩場に食い込ませてもがき、嗚咽を漏らす姿はKIKAIの頭脳の中でかつての持ち主が集めていた拷問の映像に酷似していた。
白い砂をジャケットに纏わせて起き上がると、形の良い二重の瞼を紅くさせた彼は炎に向けて諦めたように微笑む。
「京藤の着物は初めて五つの時に従姉にこっそり着せてもらったもの。どうしても忘れられなくて恋人への贈り物と嘘をついて全く同じものを取り寄せた。袖を通した時の高揚感は5つの時も15の時も変わらなかった。あの金魚のように尾が長いドレスは仮面舞踏会で着た。ああ、もう燃えて分からない。声が出せないとジェスチャーをしてちらりと潤んだ瞳を仮面の隙間から光らせれば、普段私の一族に対して因縁をつけてくるような男どもがほいほい口説いてきたのが滑稽で」
炎の勢いは止まない。一瞬、小さな爆発が起こる。化粧品のガラスが割れる音。人毛のウィッグが独特の臭いを生む。煙が青い空に昇る。
「これ以上火が大きくなるのは危険です」
KIKAIはこれ以上火力を上げても意味がないこと、煙が有害なものであると判断した。すでに鎮火するために川から汲んだ水がタライに用意してある。
「貴巳様、消火の指示を」
命令は煙を吸った貴巳の咳に消えた。ジャケット越しでもわかる薄い胸板が苦し気に上下する。ゆらりと立ちあがった彼はゆっくりと確実に目の前の炎へ進み、手を伸ばす。
KIKAIの電子回路が一瞬で巡った。
「失礼します」
謝罪の言葉と当時に薪も貴巳もびしょ濡れになっていた。黒い塊の横で川は平然と流れている。
「事故防止のため緊急措置を取らせていただきました。危険ですので燃やしたものもこちらで処理いたしますが」
「必要ない」
貴巳は炭化した服飾品の中から曇ったガラス瓶を取り出す。
「因縁をね、一番つけられていた相手に口説かれたの。この香水が似合うだろうと、次に会う時はこの香りを纏ってくれと。次に会う時は冷たい取引が行われる会議室で、目の前の女は偽りで、本当はお前の憎き男だと言えるわけがない」
「心の性は偽りではないのでは」
「お前は最新の教養が内蔵されているんだね」
彼はKIKAIを睨む。
「はい。10日前にあなたのお父様である貴幸様によって更新されました」
「同じ人間に、男のお前が隠している女物の服飾品を捨てろ。気持ちが悪い、と言われた私の気持ちがわかる?」
「申し訳ございません。複雑な感情の読み取りは不可能です」
KIKAIには表情を変え、憐れむ機能は備わってなかった。
「もういい。話し過ぎた」
「貴巳様は濡れています。体温が下がってしまいますので着替えましょう。本日は10時から取引先との会議です。私は防水かつ服のサイズが一致しています。私のスーツと交換して下さい」
「いやだ」
貴巳は香水の瓶を握り締めて川下に向かって不安定な岩場を歩き出す。
「何故ですか。代案を探します」
KIKAIは貴巳の後を追いながら返事を待つ。と同時に電脳内で映像の編集を行う。そのデータを貴巳の父、貴幸に女装グッズを処分したという証拠として提出するのだ。完成品は悲しいほどに煌々と燃え続ける音の無い焚き火の映像であろう。人型ロボットである彼は悲しいという意味は分かるがその感覚は分からない。
「何故って、いくらKIKAIでも恥ずかしいからに決まっているじゃない」
貴巳が一歩踏み出すたびに濡れた革靴の中がぐずぐずと屈辱的な音を立てた。


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