四畳半を掃除して母は故郷へ

 東京で初めてバンドのライブが決まった日。
 母は高速バスで故郷から片道8時間かけて東京へやってきた。
 別に来なくてもよかったのに…
 というのは嘘で、本当は見返したい気持ちでいっぱいだった。
 「音楽で食べていきたい」
 と言った時の父の呆れた顔を思い出すと今でも頭がカッと熱くなる。
 そんな中、母はこっそり応援してくれていた。
 久しぶりに会う母は白髪が増えて、少し小さくなったように感じた。
 「東京なんか修学旅行以来やわ」
 母は楽しそうに笑った。
 ライブまでは時間があったので、ボロアパートの私の部屋で休憩することにする。
 「なんやこの汚い部屋」
 母は部屋に入るなり、そう言い放つと窓を開けて、部屋の中を片付け始めた。
 やらなくていいとは伝えたものの、母が一度言い出すと聞かないことは私が一番知っている。
 私は呆然としながら掃除する母を眺めていた。
 しかし母が掃除機はどこだやら、タオルを買ってこいと言い出した時。
 なぜか急にそれがとても恥ずかしいことのように思えた。
 そして、母にひどいことを言ってしまった。
 悲しそうな顔をする母を残して、私は一人でリハーサルのための会場に向かう。
 しかし本番直前になっても、母のことが気になって、なかなか集中できなかった。
 結果、初ライブは散々だった。
 声は出ない。客はいない。演奏もばらばら。
 焦れば焦るほど、空回りしているのが自分で分かった。
 身内しかいないライブハウスで気づけば母の姿を探していた。
 しかし母の姿はなかった。
 ライブが終わる頃には、母が帰りの高速バスに乗る時間になっていた。
 連絡があるかなと思って、スマホを何度も確認するが何もない。
 打ち上げに行く気には到底なれず、誰もいないアパートにとぼとぼ帰る。
 情けなさでいっぱいの重い体で靴を脱ぎ、部屋の電気を付ける。
 部屋は見違えるように綺麗に整理整頓されていた。
 そしてテーブルの上にはカレーライスと手紙が置かれていた。
 「いつも応援してます」
 私は深夜バスに揺られて帰る老いた母を思って、少し泣いた。

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