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根と骨

 昨夜の大雨が嘘のような、よく晴れた六月であった。
 真昼のどぎつい日光が射しこむ窓を覗くと、我が家の庭一面に大量の雑草が生い茂っている。
 先週に確認した時は、まだ双葉のような芽がいくつか出ていたばかりであるのに、今は子供の背丈ほどまで成長したものもある。

 リビングの窓を開けると、雨が混じった緑のむせる香りが鼻を強く刺激した。
 
 「先週見た時は小さな芽が数本出ているばかりやったのにな」
 独り言のような調子でぼそりと呟くと、ワイドショーを見ている妻は興味なさそうに「ふーん」と返事した。

 これ以上、伸びぬ内に抜いてしまおう。
 私はズボンの裾を上げると、まだ雨で濡れているサンダルを履き、庭の中へと入っていった。

 最初は義務感のような形で始めた草抜きであった。
 しかし土が柔らかくなっていることもあり、あまり力を入れずとも根元ごと雑草が引き抜かれていく感触が爽快で、気づけば夢中になって抜いていた。
 
 子供の頃、よく両親の手伝いで草むしりをしたものだ。
 その小遣いで飲むソーダは何事にも代えがたい喜びをもって、喉元を通り過ぎた。

 浮かんだ懐かしい思い出に自然と頬が緩む。

 それでも当時に比べると、余計な脂肪が増えたのが原因か、すぐに腰が痛くなる。合間に背中を反らして伸びを入れつつ、作業を続けた。



 気づけば日が沈みかけていた。
 おもむろに妻を呼んだが、返事はない。
 窓に近寄り、リビングを覗いてみたが、夕飯を買い物に行ってしまったのか姿はなかった。

 辺りを見回すと一本を除いて、綺麗になった庭が広がっている。

 最後の雑草は庭の真ん中に伸びていた。いや、雑草というより小さな木のようであった。
 背丈は私の胸ほどまであり、茎も真っ直ぐに伸びて太い。
 実はこの一本は最初から群を抜いており、最後の楽しみにと思ってわざと残しておいたのだ。
 
 私は仕上げだとばかりに「よし」と声を出すと両手で茎を掴み、思い切り引っ張り上げた。

 しかし最後の一本は、意外にも土の感触をほとんど残すことなく、簡単に抜けてしまった。
 そのあまりの拍子抜けに、私は後ろに盛大に倒れこみ、大きく尻もちをつく。

 「なんじゃ、この拍子抜けが。楽しみにしてた俺が阿保みたいやないか」

 手元を見ると、生い茂った葉の裏に赤いアブラムシが数十匹群がっていた。
 
 「気持ちわる…」
 思わず茎を放り投げた。
 
 その時、茎の先の根が見えた。
 
 それは青々とした葉とは想像もつかぬほど、細くて頼りない真っ白な根であった。


 
 私はふと病室の祖母を思い出した。
 
 亡くなる直前まで元気な姿をしていた祖母。
 入院してからも、看護師から人気で最後まで笑わせていた人の死を私はなかなか受け入れることができなかった。

 しかし火葬場で見た祖母の骨は、とても小さかった。
 その骨の頼りなさが生前の祖母とどうしても結びつかず、私は狐に化かされていたような心地であった。
 それでも箸渡しの際に持ち上げた骨がぱらぱらと崩れた時、祖母の体はもうずっと前から限界だったのかもしれないと思った。

 尻もちした状態でしばらく呆然としていたが、やがてむくりと起き上がると放り投げた茎をもう一度持ち上げ、元にあった土へと埋め戻した。
 ついでに土のついた足で台所に戻ると、コップに水を入れて何度も根に注ぐ。

 水はじんわりと土に沁みて、夕日に交じって地へと消えていった。
 それから私は庭の真ん中に生えた雑草といつまでもそこに立っていた。

 空を見ると、大きな入道雲が山の向こうから流れてきている。

 今年も夏が来たのだなと私は思った。


【追記】

 このお話は、以前Twitterで公開した「祖母の骨のような細い草の音をむしる」という自由律俳句を広げて作ってみました。

 もしよければTwitterにも遊びにきてくれると嬉しいです。
 
 最後まで読んで頂き、ありがとうございます。

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